茨城県の鉱山一覧について
このページでは茨城県の鉱山一覧についてまとめています。
鉱山の名称については書籍などに記載されているものを使用し、住所についてもその記載時の地名を用いています。そのため現在の住所とは違う場合が有ります。
鉱山についても鉱物が採掘された情報を元に記載をしているので、複数の鉱物が採掘されていた場合は複数の鉱物の項目で同じ鉱山が記載されている場合が有ります。また主に採掘されていた鉱物以外としても記載されている場合が有ります。
茨城県の鉱山の概要
茨城県には古生層が発達しており、それを貫く中生代末の花崗岩に関連して金鉱脈が存在しています。しかし、何れも小規模で品位は低く現在現在も稼行している鉱山は有りません。
また、茨城県は鉱山開発に積極的であった佐竹氏が収めていた地で、現在の日立市、常陸太田市、常陸大宮市、太子町、水戸市などの地域で金鉱山開発を行いました。現在もこれらの地域では鉱山の跡が残されています。
近代に採掘が行われた鉱山も、佐竹氏が発見し開発を行った鉱山が元であった場所も有ります。茨城県の主な鉱山には日立鉱山、高取鉱山、常盤炭鉱などが有ります。
日立鉱山
日立鉱山は茨城県日立市に位置した鉱山で、主に銅と硫化鉄鉱を採掘していました。
日立鉱山の発見は不明ですが、4~500年前には発見されていたようで、佐竹氏により採掘が行われていたと言われています。また当初は赤沢鉱山や赤沢銅山とも呼ばれていたようです。
近年では明治38年に実業家であった久原房之助の手に渡った事で大々的に開発され、製錬所なども伴った大規模な鉱山となりました。大正元年には久原鉱業株式会社となり、日立鉱山を母体として久原財閥が出来ました。
昭和3年には会社名を日本産業株式会社と改称し、昭和4年には鉱山関係の事業を分離し日本鉱業株式会社となっています。
電機メーカーの日立製作所は日立鉱山の機械修理部門が母体となっています。
日立鉱山は1981年に閉山となりましたが、閉山までの間に3000万トンの粗鋼を採掘し、日本を代表する銅鉱山でした。
高取鉱山
高取鉱山は 茨城県東茨城郡城里町に位置する鉱山で、タングステンの材料の鉄マンガン重石を採掘していました。この地域は錫高野とも呼ばれており、佐竹氏の時代から錫の採掘が行われていました。
高取鉱山自体は明治41年に露頭が発見され、後に三菱鉱業、太平洋鉱業、荒川鉱業株式会社の手に渡っています。
常盤炭鉱
常盤炭鉱は大規模な炭田で福島県双葉郡富岡町から茨城県日立市にかけて位置していました。
茨城県のに位置した常盤炭鉱の主な鉱山には、高萩炭礦、大日本炭鉱磯原鉱などがありましたが、1973年に高萩炭礦櫛形礦が閉山し、茨城県側の常盤炭鉱の採掘は終了しました。
金・銀が採掘された鉱山
日立鉱山 茨城県日立市
日本鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
露頭部の金の品位は鉱石1トンあたり3グラム。
黄鉄鉱、白鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、磁鉄鉱、方鉛鉱、重晶石、菫青石、石英、セリサイト、方解石、緑泥石などの鉱物が有った。
1953年には金、銀、銅の鉱石を月に35000トン採掘した。
諏訪鉱山 茨城県多賀郡多賀町諏訪
日本鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
1953年には銅鉱石と月に180トン、硫化鉱を月に2000トン採掘した。
大久保鉱山 茨城県多賀郡多賀町大久保
佐竹藩時代に稼行し、鉱脈は自然金の他、黄鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱を伴う石英で、二次的に生成した孔雀石も伴っています。
多賀鉱山 茨城県多賀郡多賀町金沢
吉田源吾氏により稼行されていた鉱山。佐竹藩時代にも稼行された鉱山です。
大久保鉱山の南隣に位置し、鉱脈は金を含む石英脈となっています。
1935年に稼行した記録有。
鍵掛鉱山(黒沢鉱山) 茨木県久慈郡黒沢村
広川政吉氏により稼行されていた鉱山。佐竹時代にも稼行していました。
黄鉄鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱を含む石英脈から金を採取していましたが、品質は低品位だったとの事です。
大子鉱山 茨城県久慈郡太子町
松木沢鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
佐竹時代にも稼行していました。
大徳鉱山 茨城県久慈郡太子町
1938年には従業員が22名いたとの事。
金の品位は鉱石1トンあたり5.5グラム。銀の品位は鉱石1トンあたり2グラム。
日永鉱山(袋田鉱山) 茨城県久慈郡袋田村相内沢
日永鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
金の品位は鉱石1トンあたり10グラム。
生里鉱山 茨城県久慈郡小里村大中
金沢博一氏により稼行されていた鉱山。
鉱脈は自然金、硫砒鉄鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱、銅の二次鉱物を含む石英脈です。
金の品位は鉱石1トンあたり4~10グラム。高品位部で250グラム。
太郎沢鉱山 茨城県久慈郡太子町・袋田村
茨城鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
金の品位は鉱石1トンあたり20グラム。
1954年には金鉱石を月に8トン採掘した。
日鉄久慈鉱山 茨城県久慈郡上小川村
日鉄鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
金の品位は鉱石1トンあたり10~15グラム。
箕輪鉱山(発祥鉱山) 茨城県久慈郡下小川村
箕輪尊光氏により稼行されていた鉱山。
自然金、黄鉄鉱、石英などの鉱物が有った。
栃原鉱山 茨城県久慈郡上小川村
小松初見氏により稼行されていた鉱山。
西金鉱山 茨城県久慈郡下小川村西金
金を含んだ主な石英脈は3本あり、石英脈内には黄鉄鉱が含まれていました。
1939年には従業員が18名いた。
久隆鉱山 茨城県久慈郡下小川村久隆
日永鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
1937年伊稼行した。
粘板岩および砂岩内の石英脈に金が含まれており、それを採掘していました。
諸富鉱山 茨城県久慈郡諸富野村・下小川村
1937年には従業員が29名。
粘板岩および砂岩内の石英脈に金と黄鉄鉱が含まれており、それを採掘していました。
久慈鉱山 茨城県久慈郡河内村町屋・常陸太田市
久慈鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
佐竹時代にも稼行していました。
結晶片岩内の粘土脈または石英脈に、自然金、方鉛鉱、黄鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱が含まれていました。
塩沢鉱山 茨城県久慈郡上小川村大沢
東和鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
金を含む石英脈は3本あり、総延長は300メートル以上となっていました。
高品位の鉱石は、1トン当たり50~100グラムの金を含んでいたとの事です。
久慈川鉱山(薬丸鉱山) 茨城県那珂郡山方町・久慈郡下小川村
砂岩と粘板岩を貫く花崗岩が存在し、粘板岩中の金を含む石英脈から金及び銀を採掘していました。
金の品位は平均で鉱石1トンあたり7.8グラム。銀の品位は鉱石1トンあたり3グラム。
山方鉱山(高館鉱山) 茨城県那珂郡山片町館
木村宗寿氏により稼行されていた鉱山。
1937年には東陽鉱業が稼行しており、佐竹時代にも稼行していました。
砂岩と粘板岩を貫く花崗岩が存在し、古生層の中に複数の石英脈が有り、そこから金や銀を採掘していました。石英脈には金以外にも黄鉄鉱や閃亜鉛鉱が含まれていたとの事です。
高取鉱山 茨城県東茨城郡岩船村・西茨城郡七会村
荒川鉱業により稼行されていた鉱山。
タングステン鉱山として有名。
金の品位は鉱石1トンあたり1グラム。銀の品位は鉱石1トンあたり200グラム。
以下「茨城県史料 近代産業編 4」に記載の有る金鉱山。
木葉下金山 山根村
武田忠臣氏により稼行されていた鉱山。
大泉金山 西那珂村
武田忠臣氏により稼行されていた鉱山。
上市原金山 大原村
武田忠臣氏により稼行されていた鉱山。
大橋金山 大池田村
武田忠臣氏により稼行されていた鉱山。
大沢鉱山 河内村
伊藤新平氏により稼行されていた鉱山。
下津原金山 袋田村
岩崎半右衛門氏により稼行されていた鉱山。
上野宮金山 黒沢村
武田忠臣氏により稼行されていた鉱山。
町屋鉱山 河内村
伊藤新平氏により稼行されていた鉱山。
金沢金山 国分村
武田忠臣氏により稼行されていた鉱山。
銅・鉛・亜鉛が採掘された鉱山
阿吹鉱山 茨城県多賀郡磯原町(旧華川村)阿吹
1916年から17年にかけて稼行しその後休山。
黄銅鉱、黄鉄鉱、磁硫鉄鉱、石英などの鉱物が有った。
日高鉱山 茨城県日立市(旧日高村)
日本鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
1915年から16年頃に稼行したが後に休山。
日立鉱山 茨城県日立市(旧日高村)
日本鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
銅の品位は1.2%。硫黄の品位は17.6%。金の品位は鉱石1トンあたり0.4グラム。銀の品位は鉱石1トンあたり4.0グラム。
1951年には年間に鉱石を293753トン採掘した。
諏訪鉱山(追分鉱山、笠ヶ森鉱山) 茨城県日立市(旧多賀町)諏訪
日本鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
日立鉱山の南4キロに位置する鉱山で、黄鉄鉱、黄銅鉱が富み、多少の磁鉄鉱、磁硫鉄鉱を含んでいました。またテルル鉱物と共に自然金も産出していました。
鍵掛鉱山(黒沢鉱山) 茨城県久慈郡太子町(旧黒沢村)
1949年に広川政吉氏により稼行されていた鉱山。
佐竹時代や1939年にも稼行していました。
八溝鉱山 茨城県久慈郡太子町(旧黒沢村)
金山として稼行していた鉱山。
1901年に探鉱を行った。
久慈鉱山 茨城県久慈郡河内村町屋・金山沢
久慈鉱山株式会社により稼行されていた鉱山。
鉱床は緑色片岩中に胚胎された含銅硫化鉄鉱床を採掘していました。
多くの露頭や休坑が存在し、主要坑道には昌栄坑、黒磯坑などが有りました。
錫高野鉱山 茨城県東茨城郡桂村(旧岩船村)
野田弘氏により稼行されていた鉱山。
高取鉱山(七会鉱山) 茨城県東茨城郡桂村(旧岩船村)・西茨城郡七会村
荒川鉱業により稼行されていた鉱山。
主としてタングステン鉱山を採掘。
古くに旧高取鉱山(高取山北東部)と七会鉱山(高取山南部)が合併してできた。
銅の品位は0.3~1.0%。タングステンの品位は0.2~1.0%。
1954年には銅鉱石を月に350トン採掘。タングステンは年間40トン生産した。
西郷鉱山 茨城県東茨城郡常北町(旧西郷村)
粘板岩および砂岩中の石英脈に、黄銅鉱、黄鉄鉱、磁硫鉄鉱、石英などが有った。
小勝鉱山 茨城県西茨城郡七会村字塩子
根本弥平氏により稼行されていた鉱山。
銅、鉛、亜鉛、金、銀などの鉱物が有った。
一沢鉱山 茨城県西茨城郡七会村
望月新三郎氏により稼行されていた鉱山。
黄銅鉱や閃亜鉛鉱が有った。
赤沢鉱山 日立村
赤沢鉱山合資会社により稼行されていた鉱山。
「茨城県史料 近代産業編 4」に記載の有る鉱山。
鉄が採掘された鉱山
大北山鉱山 茨城県多賀郡華川村
輝岩中の層状含マンガンに含まれていた磁鉄鉱を採掘。
後に休山。
平潟鉱山 茨城県多賀郡平潟町
戦時中に稼行した鉱山。
浜砂鉄鉱床から磁鉄鉱とチタン鉄鉱を採掘。
茨城多賀鉱山 茨城県多賀郡関南村
戦時中に稼行した鉱山。
浜砂鉄鉱床から磁鉄鉱とチタン鉄鉱を採掘。
富士鉱山 茨城県久慈郡小里村
金沢博一氏により稼行されていた鉱山。
赤鉄鉱と磁鉄鉱を採掘。
波崎鉱山 茨城県鹿島郡波崎町
浜砂鉄鉱床から磁鉄鉱を採掘。
1951年には234トンを採掘した。
矢田部鉱山 茨城県鹿島郡矢田部村
戦時中に稼行した鉱山。
浜砂鉄鉱床から磁鉄鉱を採掘。
石岡鉱山 茨城県新治郡石岡町
戦時中に稼行した鉱山。
浜砂鉄鉱床から磁鉄鉱を採掘。
マンガンが採掘された鉱山
上野宮鉱山 茨城県久慈郡黒沢村
マンガンを採掘した。
内の井鉱山 茨城県久慈郡黒沢村
日本精煉により稼行された鉱山。
マンガンを採掘した。
依上鉱山 茨城県久慈郡依上村
荒井源太郎氏により稼行されていた鉱山。
マンガンを257トン採掘した。
三A鉱山(原文ママ)鉱山 茨城県久慈郡依上村
マンガンを171トン採掘した。
佐原鉱山 茨城県久慈郡佐原町
後藤正堯氏により稼行されていた鉱山。
マンガンを採掘した。
高取鉱山 茨城県東茨城郡岩船村錫高野
古くは錫鉱山、近年ではタングステン鉱山として知られている鉱山。
タングステンの鉱石として鉄マンガン重石や、菱マンガン鉱なども産出した。
鷹峰鉱山 茨城県西茨城郡七会村
糸川恭平氏と鷹峰工業により稼行されていた鉱山。
マンガンを26000トン採掘した。
塩子鉱山 茨城県西茨城郡七会村
加藤喜太郎氏と高橋利平氏により稼行されていた鉱山。
二酸化マンガンを344トン、マンガンを133トン採掘した。
明徳鉱山 茨城県西茨城郡七会村
鶴見哲尚氏と信和産業により稼行されていた鉱山。
マンガンを1081トン採掘した。
一の沢鉱山 茨城県西茨城郡七会村
マンガンを301トン採掘した。
日草場鉱山 茨城県西茨城郡笠間町
マンガンを231トン採掘した。
岩間鉱山 茨城県西茨城郡岩間町
詳細不明。
岩谷寺鉱山 茨城県西茨城郡南山内村岩谷寺
詳細不明。
大泉鉱山 茨城県西茨城郡岩瀬町
詳細不明。
肥前塚鉱山 笠間町
「茨城県史料 近代産業編 4」に記載の有るマンガン鉱山。
詳細は不明。
アンチモンが採掘された鉱山
日永鉱山(袋田鉱山) 茨城県久慈郡袋田村
日永鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
1941年より金を稼行。金の採掘を主体後、アンチモンは殆ど生産を行わなかったとの事。
古生代の砂岩を貫く石英閃緑岩の鉱脈に金を伴う輝安鉱が含まれてた。
錫が採掘された鉱山
高取鉱山 茨城県東茨城郡岩船村錫高野
荒川鉱業により稼行されていた鉱山。
近年ではタングステンの鉱山として稼行していたが、古くは錫鉱山だった。
錫鉱山として盛んだったのは18世紀末。
大正鉱山 茨木県西茨城郡七会村
高取鉱山の一部として、荒川鉱業により稼行されていた鉱山。
高取鉱山の西となりに位置していた。
タングステンが採掘された鉱山
高取鉱山 茨城県西茨城郡七会村
荒川鉱業により稼行されていた鉱山。
古くは錫鉱山、明治以前は銅鉱山、1909年以降はタングステン鉱山として日本有数の鉱山となる。
1915年から17年までに329トン、1945年には2.4トンのタングステンを生産。
石英、鉄マンガン重石、蛍石、黄玉(トパーズ)、白雲母、黄銅鉱、硫砒鉄鉱、錫石、黄錫鉱、方解石、菱マンガン鉱など多くの鉱物が有った。
絹雲母(セリサイト)が採掘された鉱山
日立鉱山 茨城県日立市
日本鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
含銅硫化鉄鉱を採掘しており、絹雲母の採掘は多くの障害が予想されるとの事。
絹雲母としては未稼行。
酸化カリウムの品位は4~5%。鉱量は総計45000トンの予想。
硫化鉄が採掘された鉱山
日立鉱山 茨城県日立市
日本鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
昭和24年度には月に17400トンの鉱石を採掘した。
黄鉄鉱、黄銅鉱、金、銀、磁硫鉄鉱、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、鉛などの鉱物が有った。
諏訪鉱山 茨城県多賀郡鮎河村大字諏訪
日本鉱業株式会社により稼行されていた鉱山。
昭和24年度に月に1150トンの鉱石を採掘した。
硫化鉱の硫黄の品位は18~13%。
石炭が採掘された鉱山(炭鉱)
常磐茨城炭鉱中郷砿 茨城県北茨城市中郷町石岡
常盤炭鉱株式会社により稼行されていた炭鉱。
明治34年(1901年)開発。
常磐神山砿 茨城県多賀郡関本村八坂
昭和15年(1940年)開発。
関本炭鉱 茨城県北茨城市関本町関本上
関本炭礦株式会社により稼行されていた炭鉱。
第1斜坑は昭和14年(1939年)開坑。第2斜坑は昭和18年(1943年)開坑。
高萩炭鉱高萩砿 茨城県高萩市高萩
高萩炭礦株式会社により稼行されていた炭鉱。
明治40年(1907年)開坑。
櫛形砿 茨城県多賀郡十王町字友部
高萩炭礦株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和20年(1945年)操業開始。
磯原炭鉱 茨城県北茨城市華川町臼場
大日本炭礦株式会社により稼行されていた炭鉱。
大正7年(1918年)開発。
重内炭鉱 茨城県北茨城市磯原町大塚
重内炭礦株式会社により稼行されていた炭鉱。
大正7年(1918年)開発。
向洋炭鉱 茨城県高萩市大字島名
宇部興産株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和16年(1941年)開坑。1952年に宇部興産の経営となる。
俵炭鉱 茨城県北茨城市磯原町木皿築地
東採炭株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和18年(1943年)開発。
須藤炭鉱 茨城県北茨城市磯原町半蔵
須藤炭礦株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和21年(1946年)操業開始。
合同華川炭鉱 茨城県北茨城市華川町小豆畑
常盤合同炭礦株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和12年(1937年)操業開始。
望海炭鉱 茨城県高萩市大字上手網
望海炭礦株式会社により稼行されていた炭鉱。
大正6年(1917年)開発。
杉本炭鉱 茨城県北茨城市華川町小豆畑
杉本炭礦株式会社により稼行されていた炭鉱。
昭和29年(1954年)操業開始。
以下の炭鉱は「茨城県史料 近代産業編 4」に記載のある炭鉱。
西明寺炭鉱 北中郷村
阿部吾市氏により稼行されていた炭鉱。
武保炭鉱 華川村
武富保一氏により稼行されていた炭鉱。
清水炭鉱 櫛形村、黒前村
清水定右衛門氏により稼行されていた炭鉱。
秋山炭鉱 松原町
桑田智明氏により稼行されていた炭鉱。
小豆畑炭鉱 華川村
茨城無煙炭礦株式会社により稼行されていた炭鉱。
高萩炭鉱 松原町
中村嘉右衛門氏により稼行されていた炭鉱。
多賀炭鉱 華川村
青木庄太郎氏により稼行されていた炭鉱。
手綱炭鉱 松岡村
手綱炭鉱合資会社により稼行されていた炭鉱。
大塚炭山 北中郷村
西宮貞三氏他2名により稼行されていた炭鉱。
車炭山 華川村
小川新七氏他1名により稼行されていた炭鉱。
関本炭鉱 関本村
高橋元長氏により稼行されていた炭鉱。
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