沖縄県の鉱山一覧について
このページでは沖縄県の鉱山一覧についてまとめています。
鉱山の名称については書籍などに記載されているものを使用し、住所についてもその記載時の地名を用いています。そのため現在の住所とは違う場合が有ります。
鉱山についても鉱物が採掘された情報を元に記載をしているので、複数の鉱物が採掘されていた場合は複数の鉱物の項目で同じ鉱山が記載されている場合が有ります。また主に採掘されていた鉱物以外としても記載されている場合が有ります。
日本地質学会では沖縄県の岩石にサンゴの複合堆積物である『琉球石灰岩』を、沖縄県の鉱物に『リン鉱石』を認定しています。
石灰岩、リン鉱石共に沖縄を代表する地下資源でもあります。
沖縄県の鉱山の特徴には以下のような物が有ります。
沖縄県の石灰鉱山と採石場
沖縄県の沖縄本島や島々は大昔のサンゴ礁が隆起したことにより、出来た島であることが多い特徴が有ります。そのため、沖縄本島の名護市、南部に有る糸満市や南城市などには石灰岩鉱山や、それに伴った採石場が見られます。
同じように西表島や石垣島も石灰岩を伴う島で有るため、石灰鉱山や採石場が存在します。
沖縄県のリン鉱山(燐鉱山)
沖縄県の離島においては、海鳥の糞が堆積して出来たグアノと岩石とが反応してできた、各種リン鉱石を採掘していた燐鉱山も見られます。
リン鉱石にはグアノとサンゴ礁などの石灰岩が反応してできたリン酸石灰鉱、ケイ素を含んだ岩石と反応してできたリン酸鉄礬土鉱などが有ります。
おもなリン鉱石には北大東島、沖大東島(ラサ島)などがあります。これらの島は燐鉱床の採掘当時は鉱山を運営していた企業が島を所有しており、北大東島は玉置商会、東洋製糖、大日本製糖(時代により変化)、沖大東島(ラサ島)はラサ島鉱業所が統治していました。
代表的なリン鉱山であった北大東島燐鉱山は第二次世界大戦中の昭和17年に採掘量の最盛期を迎え、年間7万トンにも及びました。
第二次世界大戦後は米軍の直轄となり、重機などが持ち込まれ大規模に採掘が行われましたが、採掘量が増えたことによりリン鉱石の品位が低下し昭和25年に閉山となりました。
閉山までの間には延べ77万4000トンものリン鉱石を産出しました。
北大東島燐鉱山遺跡は2017年に国指定の史跡となり、現在も採掘所跡地、燐鉱石貯蔵庫、トロッコ軌道、社宅跡、積荷桟橋などが残されています。
その他のリン鉱床としては、八重山諸島の波照間島、宮古列島の多良間島、来間島、伊良部島、城辺村、平良町、尖閣諸島の黄尾島(久場島)などにも僅かながら燐鉱床が発見されていますが、採掘で採算が取れるほどの量ではないと見込まれています。
また、沖縄県土地利用規制現況図の埋蔵文化財包蔵地リストには竹富町のリン鉱山の記載があるが、詳細は不明。
西表炭鉱
西表島の西部とその脇にある内離島には石炭を採掘していた西表炭坑があり、明治から戦後の1960年にかけて石炭を採掘していました。西表炭鉱の関連施設は2007年に近代化産業遺産群に認定されました。
西表炭鉱の主な炭鉱には、丸三炭鉱、南海炭鉱、三井炭鉱、沖縄炭鉱、琉球炭鉱、大倉組炭鉱、八重山炭鉱などが有りました。
沖縄県のその他の鉱山
座間味村屋嘉比島や久場島では銅も採掘され、銅鉱山跡が残されています。
銅が採掘された鉱山
金川銅山 沖縄県名護市伊差川
沖縄県名護市伊差川に位置している銅鉱山跡です。
金川銅山の跡地には石碑が残されておりその石碑には「西暦1496年(尚真20年)に首里円覚寺の大鐘はこの銅山から出た銅で鋳造したものと伝えられ、その後尚候爵家中心とした株式組織で明治20年9月試掘許可を受け採掘製錬し好成績を収め22年3月借区許可其の後十数年継続せしが一時中断せり、明治34年経営者が変わって再掘大正5年更に経営者が変わり数年も待たずして放棄して廃坑となり現在に至る」と記載さ入れています。
山田鉱山 沖縄県羽地村山田原
1800年代に薩摩藩が開坑し、1900年頃まで稼行をしていました。
1954年の時点では休山しています。
屋嘉比鉱山(慶良鉱山) 沖縄県座間味村屋嘉比島
1880年に開坑し1920年に休山、1936年に再び開発が再開されています。
1954年時点では休山となっています。
古場鉱山(慶良鉱山) 沖縄県座間味村古場島(久場島)
1914年に発見され採掘開始。
1920年に休山となりますが、1939年に開発再開。
1954年時点では休山となっています。
屋嘉比鉱山と同じく、東亜産業株式会社が採掘を行っていました。
伊地銅山 国頭村字伊地小字田平原
沖縄県土地利用規制現況図の埋蔵文化財包蔵地リストと沖縄県戦争遺跡詳細分布調査に記載されている鉱山です。
伊地集落北側のトーミャーと呼ばれる山林の中腹に位置し、2つの坑口が残っている。
明治期の1890年頃に採掘が行われたようで、1894年の資料には「伊地鉱山事務所」の記載があるとの事だが、明治末期には鉱山の経営不振により採掘は中止になった様子。
太平洋戦争の沖縄戦に置いては防空壕として使用され、多い時は地域の住民50人余りが避難していたとの事。
イルマタ銅山とハンザキ精錬所 大宜味村
沖縄県土地利用規制現況図の埋蔵文化財包蔵地リストに記載されている鉱山だが、詳細は不明。
比地銅山 国頭村
沖縄県土地利用規制現況図の埋蔵文化財包蔵地リストに記載されている鉱山だが、詳細は不明。
嘉手納町の銅鉱山跡
嘉手納町の文化財分布図にはカニガー(銅鉱採掘跡)として、嘉手納町宇久得平山原、宇久得長田、宇久得深田原、宇久得加釜原の地名が記載されています。
なお、カニガーとは沖縄の言葉で鉱山を意味しているとの事です。カニは金の意で、ガーは井戸の意味だそうです。
アルミニウムが採掘された鉱山
北大東島鉱山 北大東島
北大東島では燐鉱石の鉱床が存在し、アルミニウムの原料として燐酸礬土鉱が採掘されました。
北大東島は明治41年に燐鉱を産出することが知られ、明治43年に玉置商会が採掘の為に計画を建てましたが、意の如くならず中止となっています。
その後、大正7年11月に東洋精糖株式会社が燐鉱床採掘を目論み、大規模な設備投資を行い大正8年5月に燐鉱床の搬出に至りました。
当初は黒部岬に位置する燐鉱床の採掘を目的としていましたが鉱量が豊富では無かったことから、玉置平の燐酸礬土鉱の採掘に移りました。
燐酸礬土鉱は露天掘りでの採掘であるため、比較的容易では有ったようですが、通常の燐鉱石に比べ含水量が多く、乾燥をさせても再び大気中の湿気を吸収してしまう事から、貯蔵や運搬に関しては苦労が有ったとの事です。
硫黄が採掘された鉱山
鳥島鉱山 沖縄県島尻郡具志川村鳥島
現在の沖縄県島尻郡久米島町。
沖縄県最北端にある島で、沖縄県唯一の火山島です。
現在は硫黄鳥島と呼ばれていますが、かつては「鳥島」「元鳥島」「沖縄鳥島」「琉球鳥島」とも呼ばれていました。
島の北半分を占める硫黄岳の噴火口から品位96.7%の硫黄を、火口付近から品位50~55%の岩硫黄を採掘しており、ピーク時には年間200~300トンの硫黄を産出しました。
硫黄鳥島の硫黄は、中国清代に編纂された歴史書「明史」にも記載されており、洪武9年(1376年)には製錬が行われていたと記録があります。明治21年頃までは年間90トンほどの硫黄を産出していたようです。
硫黄鳥島は幾度となく噴火などの火山活動を行っており、1903年頃からは硫黄の採掘員のみが島に残っていましたが、1967年に噴煙が活発化したことにより、残っていた採掘員も島外に非難し、それ以降硫黄鳥島は無人となっています。
コメント