下川鉱山は北海道上川郡下川町ペンケに位置していました。
主に銅、硫化鉄、亜鉛などを産出していました。
下川鉱山の概要
下川鉱山は北海道上川郡下川町ペンケに位置し、国鉄名寄線下川駅から鉱山事務所までは約8km。駅から鉱山までは当時バス便が通じていました。
採掘現場は鉱山事務所より2.5km離れており、地下道と坑内畜電車で繋がっていました。
第二次世界大戦時は軍事物資としての需要増から、増産体制や鉱山施設の拡張が行われると共に鉱山を取り巻く鉱山街も発展し、学校、病院、郵便局等も設置され、人口も2000人近くとなりました。
戦後は海外からの安い銅に押されるなどして経営の合理化なども行いましたが、昭和58年に実質閉山となる休山に追い込まれました。
鉱床は延長方向に1600m、傾斜方向に400m。
北部鉱体、本𨯁、上盤𨯁などの鉱床が有ります。
下川鉱山はキースラーガー鉱床の鉱山で、含有金属鉱物には黄鉄鉱、黄銅鉱、磁硫鉄鉱、閃亜鉛鉱などの鉱物が見られました。
下川鉱山の歴史
昭和8年(1933年)下川町の農家の浅沼氏がパンケ沢で釣りをしている際に転石を発見。その話を聞きつけた札幌の今堀喜三郎氏が探鉱を開始する。
昭和15年(1940年)探鉱により一連の鉱床露頭を発見する。11月に落合沢右岸に第一坑を開行。
昭和16年(1941年)3月に三菱鉱業が今堀氏から鉱区の譲渡を受けて操業を行う。この際『新下川鉱山』と称した。
昭和20年(1945年)240t/日の選鉱場を建設するも、翌年11月に火災で焼失する。
昭和24年(1949年)100t/日の新選鉱場を建設する。
昭和25年(1950年)4月に太平鉱業株式会社の分離に伴い、下川鉱業所と名称を改める。11月に延長2.3kmの通洞坑が完成し、粗鉱の輸送を開始。12月に選鉱場から下川駅間6.8kmの精鉱輸送用の索道が完成する。
昭和27年(1952年)社名が三菱金属鉱業株式会社に改められる。
昭和30年(1955年)粗鉱8000tの処理体制を作る。
昭和57年(1982年)採掘の終了
昭和58年(1983年)休山(事実上の閉山)
参考資料『日本の鉱床総覧』『北海道地下資源調査資料 (119)』『下川町の文化財 第2集』『下川町史』『垂直航空写真でみる北海道』
コメント