十和田鉱山は秋田県鹿角郡小坂町(当時)に有った、黒鉱鉱山です。
十和田湖の西岸、カルデラの外輪山の内側に位置していました。
十和田鉱山の概要
十和田鉱山は石膏鉱床内に有り、銅、亜鉛、鉛などの硫化物を含んでいた。
鉱床には南部鉱床と北部鉱床が有った。また、旧坑なども多数有った様だが、ほとんどが崩壊している。
鉱床は長さ約170メートル、幅約80メートル、厚さ約44メートルの楕円版形状となっていた。
十和田鉱山の歴史
寛文5年(1665年)鉛の鉱床が発見されたと伝えられる。
享保年間(1716年から1736年)南部藩にて十和田鉱山として稼行された。
享保3年(1718年)銀鉱が発見されたと伝えられる。
弘化2年(1845年)藩主が鉱業の再興に努め、大島高任に地域を調査させ、袖之沢および銀山の沢に鉱床を発見した。
明治8年(1875年)大島高任が精錬所を設けたが翌年の6月に休山したのち、吉田藤吉氏が変わって稼行した。
明治13年(1880年)6月工部省の直営鉱山となる。
明治13年から同26年(1880年から1893年)藤田伝三郎氏により盛大に稼行された。
明治27年から同45年(1894年から1912年)鉱山所有者が吉田徳兵衛氏・小笠原長治氏・工藤元吉氏などに代わっていく。
大正元年から同3年(1912年から1914年)久原鉱業との間に探鉱契約を結び探鉱を行う。
昭和25年(1950年)工藤氏の滞納により、十和田鉱山は競売にかけられ、競売の結果所有者が金沢義徳氏となる。
昭和26年(1951年)日本鉄鋼社が鉱山を買収。
昭和28年(1953年)日本鉱業株式会社が鉱山を買収する。
参考資料:『日本の鉱床総覧』『九州鉱山学会誌 11(6)』
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