古遠部鉱山

古遠部鉱山は秋田県鹿角郡小坂町字古遠部(当時)に有った、黒鉱鉱山です。

古遠部鉱山の概要

古遠部鉱山は三菱金属鉱業株式会社により稼行された鉱山です。開発は比較的近年の昭和30年代に入ってから本格的に行われました。

比較的近年の鉱山で交通の便も良かったためか、鉱山に社宅などはなく従業員は鹿角市や尾去沢から鉱山専用バスで通勤していた。昭和59年2月末時点で作業員の総数は291名。

1976年頃には、鉱石を月産15,000トン採掘し、銅、鉛、亜鉛、硫黄を生産しています。
また、大黒沢の鉱床では金や銀が含まれていた他、施設では沈澱銅の回収も行っていました。

鉱床には湯の沢鉱床、大黒沢東鉱床、大黒沢西鉱床、曲屋沢鉱床、東又沢鉱床、中間鉱体、衛星鉱体の7つの鉱床が有ります。

坑道の総延長は昭和58年9月時点で、32,520メートルの距離となっています。事務所付近には第一竪坑、東又沢には東又沢竪坑、湯ノ沢には第二竪坑が有り、それぞれの鉱床は坑道で繋がっていた。

古遠部鉱山では1981年に日本産新鉱物の古遠部鉱が発見されています。

古遠部鉱山の歴史

往時石英質の脈の露頭が採掘され、そこから坑道へと探鉱された。
昭和9年(1934年)鍋窪沢の黒鉱網状露頭を坑道探鉱し、その後幾度かの物理探鉱を行う。
昭和33年(1958年)本格的試錐探鉱を開始する。
昭和34年(1959年)湯の沢鉱床を発見する。
昭和35年(1959年)大黒沢鉱床を発見する。古遠部鉱山の本格的開発に着手する。
昭和37年(1962年)曲が屋沢鉱床を発見する。
昭和44年(1969年)東又地区を開発し、深さ180メートルの竪坑と坑道を掘り、大黒沢西鉱床と連絡させた。
昭和51年(1976年)三菱金属株式会社から分離独立し南古遠部鉱山となった。
昭和61年(1986年)閉山となった。

参考資料『日本の鉱床総覧』『鉱山 29(9)(315)』『日本鉱業会誌 1984年 100巻 1160号』

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