唐戸屋鉱山は山形県米沢市築沢・山梨沢に有った黒鉱鉱床鉱山です。
唐戸屋鉱山の概要
金、銀、銅、亜鉛、鉛、酸化鉄鉱などが採掘されました。
当初は金、銀、銅を採掘しており、後に銅と亜鉛を主に採掘しました。
唐戸屋鉱山は米沢市の西南12~13キロの地点にある鉱山です。降雪期間を除けば選鉱場までは、トラック道路が通じていた。
鉱山跡地には露天掘り跡や坑道跡の他、製錬を行った跡や大量のカラミも残っている。
唐戸屋鉱山の歴史
鉱山の発見時期は明治の後期とされている。
鉱山の鉱業権者は転々とした。明治末期にはドイツの資本参加も有ったとの事。
明治36年に焙焼炉の成果が上がらず、明治40年には鉱石のまま日立鉱山へ鉱石を送った。この頃横浜のハンブルグ商会のドイツ人経営のオツトライメル社と合資し、大正2年に唐戸屋鉱山株式会社となった。
明治37年から38年には産額が多くなり、殊に日露戦争当時の際は、生活が貧しい人の為の生業扶助として役所にて鉱石を入れるカマス制作を行った。その際は1ヵ月に1万俵以上のカマスを作ったとの事。
大正元年の産額は、銅466,217匁で31,027円の価格、亜鉛は715,306貫で46,652円の価格との記録が有る。この当時は鉱石を神奈川県に送っていたとの事。
その後、日本曹達株式会社が鉱山を手に入れたが、大正8年から9年にかけては休山し鉱業権もそのままとなっていた。その後に某氏の手に渡った後で、東邦亜鉛株式会社が買収し稼行した。昭和26年ごろに東邦亜鉛により休坑の取明に着手し、探鉱を行ったが間もなく中止し休山となった。
大正3年から5年にかけてが鉱山の全盛時代だったとの事で、従業員が約1000名おり、学校の分校も有ったとの事。
参考資料『日本の鉱床総覧』『山形県鉱山誌』『置賜文化 (77)』『米沢市史編集資料 第23号』
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