新柿野鉱山は岐阜県山県郡美濃町に有り、越美南線美濃町北西30kmにありました。
新柿野鉱山の概要
新柿野鉱山は下洞戸北北西8キロに有り、東洞より小瀬見に至る峠付近の頂上に位置した。
山元より東洞までの2kmは人道程度の道で、交通の便は悪かったようです。
資料によっては新柿野鉱山(金城鉱山)と記載されている物もあり、金白鉱山の鉱区と重複していた時期が有った様です。
(金城鉱山の資料に、「現在の新柿野鉱山の鉱区内の旧鉱からも盛んに出鉱した」との記載が有ります)
古くは柿野鉱山の名称でしたが、原政一氏の稼行時代に新柿野鉱山に改称したとされてい
ます。
原政一氏の稼行時代の記録として、鉱区の登録番号が岐阜採491番。
採掘の鉱種は銅、亜鉛となっています。
銅の品位は1.5%、亜鉛の品位は10%、鉛の品位が3%となっています。
探鉱当時は従業員が20名おり、手選で1日に5トンの鉱石を産出していました。
新柿野鉱山は接触交代鉱床とスカルン鉱床で、スカルン鉱物には灰鉄輝石、柘榴石、珪灰石。金属鉱物には磁硫鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、硫砒鉄鉱。二次生成鉱物として、硫化カドミウム鉱、孔雀石、褐鉄鉱などが見られました。
「鉱物採集の旅 5 (東海地方をたずねて)」では灰鉄輝石、柘榴石、緑簾石、透角閃石、斧石、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱、黄銅鉱、硫砒鉄鉱、硫カドミウム鉱、チロル銅鉱、石英などが採取できたと記載されています。
鉱床はレンズ状でしたが規模は不明。
露頭は数か所に見られたとの事ですが品位などは不明。
新柿野鉱山の歴史
発見年代は不明。
明治期末にファーブル・ブランド商会が試掘権を設定し、探鉱されました。
昭和25年(1950年)ファーブル・ブランド商会が権利を放棄。
昭和25年(1950年)に原政一氏が出願し、露頭下部より坑道を10m開削。
昭和31年(1956年)このころまで探索が行われたがその後の状態は不明となっている。
参考資料『日本の鉱床総覧』『鉱物採集の旅 5 (東海地方をたずねて)』『地質調査所月報 3(6)』『地質調査所月報 8(12)』『未利用鉄資源 第2輯(1955)』『日本鉱産誌 B 第1-b (各論 主として金属原料となる鉱石 銅・鉛・亜鉛)』

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