銅ヶ鳴鉱山(愛媛県)

銅ヶ鳴鉱山は愛媛県西宇和郡保内町および磯津村に位置した鉱山です。

銅ヶ鳴鉱山の概要

銅ヶ鳴鉱山は愛媛県西宇和郡磯津村の銅ヶ鳴山の北西600mから1300mに位置している。
採掘していた鉱石は山元より木馬道にて自動車道路まで運搬していた。

1950年頃の鉱区については以下の情報が残る。
鉱山名:銅ヶ鳴鉱山
登録番号:愛媛県採掘登録第36号
鉱業権者:兵頭五郎
鉱種:銅、硫化鉄鉱

主な坑道には1番坑から12番坑間多くの坑道や旧坑が有った。

鉱床は幅50mの帯状の範囲に2か所の富鉱部があり、2か所の富鉱部は直径80~150m、短径20~30mの楕円状または笹の葉条の富鉱部の集合からなってている。

露頭は標高767mの銅ヶ鳴かの西北西300~1500m付近に位置している。

鉱床の含まれている金属鉱物には黄鉄鉱、黄銅鉱。

昭和36年までの坑道の総延長は3,000m。
昭和26年から28年の産出量は鉱量3000t、銅品位3%、銅量90t。

昭和29年時点で、権者は高橋鉱一氏。稼行準備中であり、従業員は30名。
昭和29年の採掘量は81t(銅品位0.8%、硫黄の品位27%)

銅ヶ鳴鉱山の歴史

約350年前に宇和島藩主が稼行したとされる。
大正元年(1912年)保内町の白石秋太郎氏が稼行する。
大正9年(1920年)日窒鉱業が買収し一年間鉱山を稼行した。
昭和13年(1938年)兵頭宇治吉氏が入手した。
戦時中は帝国鉱業開発株式会社が探鉱したが貯鉱のみで出港せず、終戦とともに休山となる。
昭和26年(1951年)兵頭五郎氏が譲り受けて2年間採掘を行う。
昭和29年(1954年)高橋鉱一氏名義となる。
昭和33年(1958年)住友鉱山株式会社が鉱山を入手する。
昭和37年(1962年)6月に中川寛志氏に鉱山を売却する。

参考資料『日本の鉱床総覧』『地質調査所月報 5(10)』『日本鉱産誌 B 第1-b (各論 主として金属原料となる鉱石 銅・鉛・亜鉛)』

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