麻生津鉱山(和歌山県)

麻生津鉱山(おうずこうざん)は和歌山県那賀郡那賀町赤沼田(旧麻生津村)に位置する鉱山です。

麻生津鉱山の概要

鉱床の長さは約450m。
傾斜方向に50m開発されており、露頭の東の上部を開発した。
1~5mnの緑色片岩を挟み、上下に2つの層の鉱体がある。

鉱床の金属鉱物には黄鉄鉱、黄銅鉱。上盤𨫤は黄銅鉱が少なくなっている。鉱脈には石英、緑泥石、絹雲母も見られる。

昭和36年までの坑道総延長は3500m。
昭和34年7月から昭和36年12月までの粗鉱量は21,211t、銅量は219.005t、硫黄の量は3,221t生産した。

大正10年6月1日の和歌山新報に麻生津鉱山など那賀郡中貴志村他2村の銅硫化鉄鉱試掘からの鉱毒問題として、飲料水や灌漑用水の汚染などの問題を報じており、麻生津鉱山でも鉱毒問題が発生した事が伺えます。

麻生津鉱山の暴動

明治40年(1907年)5月10日から11日にかけて、麻生津鉱山の労働者約300人が賭博容疑者検挙の抗議が原因で大規模な暴動に繋がりました。この暴動で派出所を襲撃し、首謀者ら2名が検挙されています。

暴動の発端は、5月9日に鉱夫長の赤松嘉平治氏の自宅に窃盗犯が忍び込み、赤松氏が取り押さえようと格闘をしたところ取り逃がしたため、赤松氏は駐在所の山本和夫巡査に通報しました。山本氏は各長屋や飯場などを取り調べていたところ、飯場で賭博を行っているのを発見し、鉱夫の吉田富次郎氏と小坂和作氏の両人を取り押さえて駐在所に連行しました。

駐在所に連行された吉田氏と小坂氏は取り調で、賭博は行っていなかったとの答えをしていましたが、その取り調べに対し鉱夫の灘皮熊太郎氏が連行は無効だと鉱夫数百名を引き連れ、駐在所に向かって投石を行ったり、器具の破壊を行った他、駐在所になだれ込み、山本巡査長を殴打する等の暴動となりました。この騒動は聞きつけた鉱夫長の赤松氏等が駆け付け、鉱夫等を説得しその場を収めました。

怪我をした山本巡査長は事務員と共に粉河町の警察署に逃げ込み、この騒動を知った粉河署の所長は非常招集をかけ十数名の警察官と共に現場に急行し、吉田富次郎氏と灘皮熊太郎氏を逮捕しています。

山本巡査は負傷により5日間の疾病休業のけがを負っています。

麻生津鉱山の歴史

明治末期に和歌山の南氏により開発されたが、以後40年ほど放棄されていた。
昭和26年(1951年)に杉本氏が鉱山を買収し、日本鉱業の資金援助により2年間操業を行う。
昭和34年(1959年)山一鉱業が鉱山を買収し、以後拡張し開発を行う。
昭和36年(1961年)電動50馬力のコンプレッサーにより、削岩機4台を稼働させ、800t/月(銅品位1.0%、硫黄品位15%)の鉱石を採掘し、古河鉱業株式会社飯盛鉱業所に売却している。
昭和39年(1964年)休山となった

参考資料『日本の鉱床総覧』『全鉱20年史』『日本の層状含銅硫化鉄鉱床総覧 (鉱山地質特別号 ; 第1号)』『貴志川町史 第2巻 (史料編 1)』『那賀町史』『和歌山県警察史 第1巻』『社会・労働運動大年表 〔本編〕 新版』『和歌山県史 近現代史料 4』『紀伊毎日新聞 明治40年5月12日および14日』

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