大盛鉱山(北海道)

北海道の鉱山

大盛鉱山は北海道渡島国茅部郡森町に位置してた鉱山です。
日本鉱業株式会社により稼行されていました。

大盛鉱山の概要

大盛鉱山は昭和5年に、札幌の村田信氏(村田新氏?)が、木材の払い下げを受けて木材の造材中に露頭を発見した事が鉱山発見となっています。

昭和9年には日本鉱業株式会社が村田氏の持ち分の70%を得て組合に加入して共同経営となり、翌昭和10年10月には残りの分も買収し全権が日本鉱業となりました。

日本鉱業の経営となってからは手掘り及び削岩機により採掘を行い、同10年には金銀鉱1,270トンを産出し、重要鉱山となりました。昭和12年3月には日本鉱業により採掘権がされています。

昭和14年には月に7,500トンの処理能力を持つ精錬所が完成し、同年4月より運転が開始されました。製錬所にて処理された鉱石は、金銀鉱物として日立鉱山に送られています。

昭和16年11月には月15,000トンの処理能力を持つ精錬所に拡張され、索道も500kg積載から、倍の1トン積載のバケットに改築されました。
この時期の従業員数は約600名、その家族を合わせると2,500名程度となっておりで、鉱山周辺には従業員用の住宅、小学校、診療所、派出所、郵便局、浴場などが建てられました。

昭和17年には金山整備令等により金山としては閉山し、昭和18年には鉱山を帝国鉱発株式会社に譲渡しています。

太平洋戦争終戦後の昭和25年4月には帝国鉱発株式会社から、再び日本鉱業株式会社が買山しています。その後、昭和49年3月に日本鉱業から合同資源産業株式会社へと移りましたが、同年12月に採掘権を放棄しました。

昭和41年3月末までの産出量は金572kg(昭和11年から同17年)、銀32,795kgとなっています。

大盛鉱山の鉱床

鉱脈に見られる金属鉱物には、自然金、黄鉄鉱、マンガン鉱物などが有りました

本𨫤
鉱脈数1、走向N80°W、傾斜78°NE。
既開発の走向延長360m、傾斜延長180m、平均脈幅5.0m。
平均品位はAu 2.8g/t、Ag 135g/t。
露頭鉱床の露頭から最下部への垂直深度170m。

上盤𨫤
鉱脈数1、走向N75°W、傾斜70°NE。
既開発の走向延長260m、傾斜延長140m、平均脈幅0.5m。
平均品位はAu 1.7g/t、Ag 148g/t。
露頭鉱床の垂直深度130m。

下盤𨫤
鉱脈数1、走向N80°W、傾斜70°NE。
既開発の走向延長360m、傾斜延長160m、平均脈幅2.0m。
平均品位はAu 2.5g/t、Ag 179g/t。
露頭鉱床の垂直深度150m。

1号𨫤
鉱脈数1、走向N45°E、傾斜55°NW。
既開発の走向延長150m、傾斜延長75m、平均脈幅1.5m。
平均品位はAu 2.1g/t、Ag 112g/t。
露頭鉱床の垂直深度70m。

東坑本𨫤
鉱脈数1、走向N60°E、傾斜60°NW。
既開発の走向延長600m、傾斜延長の記載なし、平均脈幅2.0m。
平均品位はAu 1.7g/t、Ag 148g/t。
露頭鉱床の垂直深度200m。

東坑4号𨫤
鉱脈数1、走向N45°E、傾斜70°NW。
既開発の走向延長160m、傾斜延長65m、平均脈幅0.3m。
平均品位はAu 3.4g/t、Ag 191g/t。
露頭鉱床の垂直深度60m。

鉱床胎域の範囲(下盤𨫤〜東坑4号𨫤)は、東西(E-W)方向900m、南北(N-S)方向400mとなっています。

大盛鉱山の歴史

1930年(昭和5年)発見される。
1934年(昭和9年)日本鉱業株式会社、村田信氏(村田新氏?)の持分(70%)をえて組合加入する。
1935年(昭和10年)残持分を買収し、日本鉱業株式会社の所有となる。
1937年(昭和12年)鉱量を確認し稼行開始する。
1939年(昭和14年)7,500t/月の青化製錬設備を完成する。
1941年(昭和16年)15,000t/月に青化製錬設備を増設する。
1943年(昭和18年)金山整備令により、帝国鉱発株式会社に譲渡する。
1950年(昭和25年)帝国鉱発株式会社より日本鉱業株式会社が買山した。
1974年(昭和49年)鉱業権が日本鉱業株式会社から合同資源産業株式会社へと移りましたが、同年12月に採掘権を放棄しました。

 

参考資料『日本の鉱床総覧』『地域研究所年報 (15)』『森町の歴史散歩』

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