北見鉱山は北海道紋別郡丸瀬布町字金山に位置した鉱山です。
住友金属鉱山株式会社により稼行されていました。
なお、北海道内には北見鉱山を名乗った鉱山いくつか有りました。

北見鉱山の概要
北見鉱山は大正3年に津軽の安江末松氏がイナウシ川で発見し、同年4月に試掘許可を得て鉱区を設定したのが始まりとされています。安江氏は大正5年に東京の浜本義顕氏2万円で売却し、浜本氏は同年10月に改めて鉱区を設定し、金山橋仮設工事の建物を買い受けて事務所と飯場にして作業員15名程度で試掘に着手しました。
浜本氏が鉱区設定時に北見鉱山の名称を掲げ、鉱種は銀、銅、亜鉛、硫化鉄を採掘しました。採掘は3か所ぐらいを掘進しましたが結果が思わしくなく、大正7年に廃坑となりました。なお、この際の北見鉱山は浜本鉱山と呼ばれることも有った様です。
後の昭和8年6月にこの北見鉱山(浜本鉱山)の鉱区を、片岡合名会社が金、銀、銅を目的とした伊奈牛鉱山として試掘登録を行うも、同年9月に住友金属鉱山に売却しています。
昭和8年9月に住友金属鉱山株式会社が片岡合名会社の後藤泰三氏から鉱区を買収して、鴻之舞鉱山から技術者を派遣し、50名程度の作業員で探鉱を行っていました。
当初は金銀を目的に稼行していたが、太平洋戦争時の鉱業政策を受けて、銅や亜鉛の開発が行われました。
住友金属鉱山に買収された際は鴻之舞採鉱課に属し、伊奈牛坑と呼ばれていましたが、昭和23年に分離して、伊奈牛鉱山と称し、昭和25年には北見鉱業所となり、その後は北見鉱山となりました。
昭和30年に鉱況にの不振と福島の八総鉱業所の拡張に伴い、昭和30年9月に操業を一時停止しました。当時職員と作業員が289名いましたが、余剰人員は八総鉱業所に異動となり、北見鉱山の職員および作業員は半数程度となりました。
昭和34年には探鉱により新鉱床を発見し操業を再開するも、その後は有望な鉱床が見つからないことや、銅価格の暴落により、昭和38年3月に休山となり、同年9月30日に閉山となりました。

昭和41年3月までの坑道総延長は72,000m。
試錐総延長は17,000m。
昭和41年3月までの金属の総産出量。
金:21t、銅:4,500t、鉛:7,800t、亜鉛:9,000t、硫黄:61,410t。
北見鉱山には多くの露頭や鉱床がありました。
鉱床に見られた金属鉱物には主に、黄鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、磁硫鉄鉱があり、少量として、キューバ鉱、輝蒼鉛鉱、硫砒銅鉱、四面銅鉱、白鉄鉱、輝安鉱、赤鉄鉱。
北見鉱山の露頭
6ノ沢脈
脈幅は0.2mで、露頭部の平均品位はCu0.34%、Pb1.32%、Zn4.43%、S19.61%。
露頭の性状は凹地形を呈し、焼け方は弱く、硬軟は軟らかい部類に入る。
石英質・粘土質の別では粘土質で、鉱床は塊状を呈している。
母岩の変質状態は軽度の珪化・粘土化が認められる。
8ノ沢分岐脈
脈幅は0.2mで、平均品位はCu0.11%、Pb6.71%、Zn1.79%、S29.74%。
露頭の性状は6ノ沢脈と同様に凹地形、焼け方は弱く、軟質で、粘土質を呈している。
鉱床も6ノ沢脈と同様に塊状で、母岩の変質状態も軽度の珪化・粘土化と6ノ沢脈と同じ傾向となっている。
8ノ沢脈
脈幅は2.0mとやや広く、平均品位はCu0.23%、Pb7.06%、Zn1.60%、S38.06%。
露頭の性状は凹地形で、焼け方はやや強く、硬さもやや硬い傾向にある。
石英質・粘土質の別では石英質で、鉱石は塊状鉱染状を呈している。
母岩の変質状態は他の脈と同じく軽度の珪化・粘土化となっている。
9ノ沢脈
脈幅は0.3mで、平均品位はCu0.16%、Pb1.79%、Zn0.38%、S34.21%。
露頭の性状は凹地形、焼け方はやや強く、やや硬質で石英質を呈し、鉱石は塊状鉱染状。
母岩の変質状態も同様に軽度の珪化・粘土化が見られる。
北見鉱山の鉱床
北見鉱山の鉱床には、炭焼沢鉱床、高嶺鉱床、西望鉱床、1号鉱床、2号鉱床、3号鉱床、山神坑鉱床、9ノ沢鉱床などが有った。

炭焼沢鉱床
最も初期に開発された鉱床で、黄銅鉱に富んでいた。
西望鉱床
昭和27年以降に開発が行われた鉱床。
主な脈が8条有り、そのうち3脈が規模が大きい。
高嶺鉱床
昭和29年に発見された鉱床で、炭焼沢鉱床の東方に位置していた。
走向N45°W、傾斜70°SWで、走向延長120m、傾斜延長60m以上、平均脈幅0.50m。
平均品位はCu1.50%。
S 680m𨫤
走向E-W、傾斜70°Sで、既開発の走向延長は60m、傾斜延長は30m、平均脈幅は0.20m。
平均品位はCu3.12%、S16.0%(Pb・Znは不明)。
露頭鉱床の露頭から最下部への垂直深度は120m。
S 400m𨫤
走向E-W、傾斜65°Sで、既開発の走向延長は600m、傾斜延長は180m、平均脈幅は0.80m。
平均品位はCu2.49%、S13.0%。
潜頭鉱床は地表より鉱脈上限120m、最下部への深度は300m。
西望3脈東
走向E-W、傾斜60°Sで、走向延長250m、傾斜延長150m、平均脈幅0.50m。
平均品位はCu1.90%、S5.0%。
潜頭鉱床の上限は100m、下限は250m。
N 50m𨫤
走向N80°E、傾斜65°Sで、走向延長900m、傾斜延長250m、平均脈幅0.70m。
平均品位はCu1.35%、Pb1.39%、Zn 2.33%、S15.0%。
露頭鉱床の垂直深度は250m。
N 300m鑛
走向N80°E、傾斜65°Sで、走向延長280m、傾斜延長210m、平均脈幅0.60m。
平均品位はCu0.54%、Pb3.58%、Zn6.87%、S19.0%。
露頭鉱床の垂直深度は210m、潜頭鉱床の上限は60m、下限は210m。
N 450m𨫤
走向N80°E、傾斜70°Sで、走向延長250m、傾斜延長150m、平均脈幅0.50m。
平均品位はCu0.57%、Pb3.33%、Zn7.34%、S18.0%。
露頭鉱床の垂直深度は210m、潜頭鉱床の上限は60m、下限は210m。
N 550m𨫤
走向E-W、傾斜70°Sで、走向延長550m、傾斜延長250m、平均脈幅0.50m。
平均品位はCu1.22%、Pb1.85%、Zn6.90%、S18.0%。
露頭鉱床の垂直深度は250mで、この付近の鉱床胎域の範囲はE-W方向に3kmとされています。
2号鉱床
昭和35年に発見され、主な脈が3つ有った。
また、かつて金銀鉱床として開発された、旧2号𨫤も存在した。
以下「S 150m𨫤」「N 240m𨫤」「N 240m𨫤」は2号坑に属する鉱脈群。
S 150m𨫤
走向N80°E、傾斜70°Sで、走向延長100m、傾斜延長80m、平均脈幅0.50mす。
平均品位はCu1.04%、Pb6.75%、Zn7.62%、S27.0%。
潜頭鉱床の上限は70m、下限は150m。
N 240m𨫤
走向N80°E、傾斜70°Sで、走向延長350m、傾斜延長150m、平均脈幅1.00m。
平均品位はCu0.85%、Pb5.50%、Zn5.00%、S22.0%。
潜頭鉱床の上限は70m、下限は220m。
N 510m𨫤
走向E-W、傾斜70°Sで、走向延長60m以上、傾斜延長60m以上、平均脈幅0.50m。
平均品位はCu0.42%、Pb0.89%、Zn3.60%、S9.0%。
潜頭鉱床の上限は70m、下限は130m。
北見鉱山の歴史
1934年(昭和9年)鴻之舞鉱業所の支山として住友金属鉱山株式会社により買収される。
1940年(昭和15年)3号坑鉱床発見される。
1944年(昭和19年)金山地区に選鉱場が建設された。
1948年(昭和23年)鴻之舞鉱業所より分離し、伊奈牛鉱山となる。
1950年(昭和25年)伊奈牛鉱山を北見鉱山と改称する。
1955年(昭和30年)鉱量枯渇により操業中止、探鉱山に縮小する。
1959年(昭和34年)新鉱床の発見により操業再開する。
1959年(昭和34年)11月に北見鉱山の社宅1棟4戸が被災する火事が発生する。
1963年(昭和38年)3月に休山、9月に閉山となる。
1965年(昭和40年)閉山した北見鉱山跡から拾ってきた雷管が爆発し中学生が右目を失明する事故が発生した。
参考資料『日本の鉱床総覧』『丸瀬布町史 上巻』『丸瀬布町史 下巻』『北海道地下資源調査資料 (92)』『北海道金属非金属鉱床総覧』『地質調査所月報 14(10)』


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