大巻鉱山は秋田県北秋田郡比内町大巻字狼の沢(当時)に有った黒鉱鉱山です。
大巻鉱山の概要
黒鉱鉱山で金、銀、銅、鉛、亜鉛、硫化鉄、石膏、重晶石などが採れた。
当時の花輪線扇田駅からバスで大巻まで約20分、そこから徒歩1.5キロで山元に達する。鉱山まではトラックの走行も可能で、交通の便は良かったとの事。
海抜200メートル以下と標高が低い丘陵地で、秋田県ながら冬も雪が比較的少なかった。
鉱床には元山鉱床、狼の沢鉱床、西館石膏鉱床、高橋石膏鉱床、中森山石膏鉱床があり、区分として1号地、2号地、3号地、4号地と別れていた。
元山鉱床
林の沢東方・狼の沢北西に位置する1号地に有り、鉱床の直径は50~60メートル。
黒鉱鉱床の酸化帯で、銀や鉛に富んでおり、古くから採掘されていた。
狼の沢鉱床
明治時代に『三井大巻鉱山』として採掘されていた。2号地に位置する。
狼の沢の黒鉱鉱床で、鉱床の直径は50~60メートル。
銀を多く含んでいた。
西館石膏鉱床
狼の沢鉱床の南に接した3号地に有った。
明治37年藤原喜右エ門氏が採掘。以降採掘され、一部に黒鉱を伴っていた。
昭和16年に粗鉱4970トン、精鉱4485トンを生産した。
高橋石膏鉱床
狼の沢西方、袴腰山麓の4号地にあり、大正12年以来石膏を採掘した。
石膏鉱床の北東部に多量の銅、鉛、亜鉛鉱を伴い、昭和12年以来『藤田組大巻鉱山』として採掘が行われた。
昭和9年頃には年間900トンを産した。
中森山鉱床
中森山西麓の位置する黄鉱および珪鉱で、一部鉱脈状となっていた。
鉱床の周囲には大規模な石膏鉱床が有った。
佐藤石膏
狼の沢の一部で、昭和4年から6年まで鉱山主が朝鮮銀行で藤田組が借山。
昭和16年に佐藤石膏鉱山を中心に、西巻鉱山となり、大巻鉱山・高橋石膏・西館石膏と共に金属や石膏の採掘を終戦まで行った。
大巻鉱山の歴史
享保11年(1727年)から元文3年(1738年)に羽の木谷地が開発され、当時は谷地沢銀山と称され、年間銀を3枚運上したとされる。
幕末頃 大巻鉱山として稼行され始めたとされる。
明治から大正年間 この頃は鉱山の権者が次々と代わり、明治22年に三井銀行の所有となり、1号鉱床付近で銀を盛んに採掘および製錬した。この時の鉱滓として重晶石が多量に放置されたとの事。
明治24年(1891年)この年に銀の産出量が684貫となる。
明治29年(1896年)銀を掘りつくし鉱区を藤原福松氏に譲渡する。
明治34年(1901年)中森及び袴腰山に銅鉱脈を発見し採掘する。
明治38年(1905年)坑道が崩壊し鉱区を石田兼吉氏に譲渡し、久原房之助氏が明治41年まで探鉱する。
大正2年から4年 藤田組が探鉱をするが好結果を出せず。
大正5年(1916年)神沢準次郎氏の鉱区の南部中森山の北麓に塊状から脈状の銅鉱床が見つかる。
大正6年(1917年)鉱業権者の泉茂家と借区人の神沢組との間に紛争が発生し採掘が中断する。
大正7年(1918年)大坂産業株式会社が経営するが思わしくはなかった。
昭和13年(1938年)藤田組の所有となり昭和20年(1945年)まで稼行した。
昭和16年(1941年)佐藤石膏鉱山(佐藤石膏鉱床)を中心に、西巻鉱山となった。
昭和27年(1952年)同和鉱業が権者となり4号鉱床の開発を行う。
昭和33年(1958年)4号鉱床の採掘を中止する。
昭和36年(1961年)このころまで試錐探鉱を継続して行い、大巻新鉱床を発見した。
昭和38年(1963年)10月に大巻新鉱床の採掘が本格的に始まる。
昭和53年(1978年)9月休山となる。
参考資料『日本の鉱床総覧』『秋田県鉱山誌』
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