神岡鉱山は岐阜県吉城郡神岡町(現在の岐阜県飛騨市)に有った鉱山です。
主に亜鉛、鉛、銀、石灰を採掘していました。
神岡鉱山の概要
飛騨片麻岩の石灰岩を熱水が交代した、スカルン鉱床の鉱山です。
主な鉱床には栃洞鉱床、円山鉱床、茂住鉱床が有りました。

栃洞鉱床

栃洞鉱床はスカルン鉱床および、中熱水性交代鉱床です。
栃洞鉱床のスカルン鉱物には、灰鉄輝石、緑簾石、灰鉄柘榴石、珪灰鉄鉱、珪灰石、透輝石、陽起石、ベスブ石、方解石、魚眼石。
金属鉱物には、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄銅鉱、マチルダ鉱、自然銀、自然砒、輝銀鉱、輝水鉛鉱、灰重石、磁鉄鉱、黄鉄鉱、赤鉄鉱等。

主な鉱床には9番鉱床と5番鉱床が有り、その他の鉱体をして32ヶ所有りました。
9番鉱床は延長250m×幅60m×深さ500m+。
5番鉱床は延長150m×幅50m×深さ500m+。
主な露頭には2番鉱床の露頭と9番鉱床の露頭が有った。
2番鉱床の露頭は海抜200mの位置にあり、幅80m×延長150m。
9番鉱床の露頭は海抜1050mの位置にあり、幅60m×延長180m。
円山鉱床
円山鉱床はスカルン鉱床で、スカルン鉱物には灰鉄輝石、柘榴石、緑簾石、透輝石。
金属鉱物には閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄銅鉱、マチルダ鉱、磁鉄鉱、灰重石が見られます。
鉱床の大きさは延長300m×深さ400m×幅70~150m。
露頭が海抜1100mの位置にあり、露頭の規模は延長650m×幅150m。
茂住鉱床

茂住鉱床はスカルン鉱床・裂か充填鉱床・熱水交代鉱床の鉱床です。
スカルン鉱物には灰鉄輝石、陽起石、透輝石、灰鉄柘榴石、珪石灰、緑簾石。
金属鉱物には閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄銅鉱、磁鉄鉱、黄鉄鉱、磁硫鉄鉱、マチルダ鉱、輝水鉛鉱、灰重石など。
主な鉱床にはN20号鉱床、S2号鉱床が有った。他にも主要な鉱体が8つ存在した。
N20号鉱床は幅10m×延長300m×深さ400m以上。
S2号鉱床は幅5~10m×延長15m×深さ40~100m。
イタイイタイ病
神岡鉱山では日本の四台公害病である、イタイイタイ病が発生した事でも知られています。
イタイイタイ病は神岡鉱山の亜鉛鉱石の主要鉱物である閃亜鉛鉱に含まれるカドミウムが原因で、汚染された鉱廃水が流れた富山県神通川流域で発生しました。
イタイイタイ病は患者が些細な衝撃でも骨折してしまい「痛い!痛い!」と泣き叫んだ事から、そのままイタイイタイ病と名付けられました。
神岡鉱山の跡地の利用
神岡鉱山の跡地は様々な研究施設として利用されています。
- 『カミオカンデ』『スーパーカミオカンデ』東京大学宇宙線研究所のニュートリノ観測装置。
- 『ハイパーカミオカンデ』2028年の実験開始を目指して開発中の超大型水チェレンコフ光検出装置。
- 『カムランド』東北大学大学院理学研究科付属ニュートリノ科学研究センターの反ニュートリノ検出器。
- 『XMASS』東京大学宇宙線研究所の暗黒物質(ダークマター)の調査を目的とした素粒子観測施設。
- 『重力波望遠鏡のKAGRA』東京大学宇宙線研究所 (ICRR) 、高エネルギー加速器研究機構 (KEK) 、自然科学研究機構国立天文台 (NAOJ) 等が共同で運用。
神岡鉱山の歴史
養老年間(720年頃)黄金を産出し天皇に献じたとの口伝が残る。
天正17年(1589年)越前大野の城主である金森氏の家臣の、糸屋彦次郎氏(後の茂住宗貞氏)が鉱脈を発見する。後に金山奉行として茂住鉱山と和佐保銀銅山の運営を行う。
江戸時代(1600年頃)神岡鉱山の位置した飛騨地方は江戸幕府の天領と成、文化14年(1816年)には前平坑が幕府直轄の鉱山なった。
明治7年以前の栃洞鉱床では、露頭付近で小規模に銅を目的として採掘した。
明治7年(1874年)三井組が大留坑、前平坑、蛇腹坑、鹿間坑、栃洞坑を買収した。
明治19年(1886年)鹿間谷にて様式の鉛精錬を開始する。
明治22年(1889年)三井組が茂住坑を取得し、経営範囲が神岡鉱山全域となる。
明治25年(1892年)栃洞鉱床においては鹿間精錬所を設立し、海抜970m以上の区域を主として、銀、鉛、銅を採掘した。
明治38年(1905年)亜鉛精鉱の採取を開始する。
明治45年(1912年)栃洞坑、茂住坑に主要運搬坑道が完成する。
大正2年(1913年)茂住鉱床に削岩機を導入し、主に鉱床上部を掘削する。
大正7年(1918年)鹿間に銀電解工場を新設する。
大正8年(1919年)栃洞鉱床において、海抜850mの通洞を開削し、北部と南部の鉱床開発の統一を行った。
大正10年(1921年)鹿間に鉛電解工場を新設する。
昭和7年(1932年)トレンチにより円山露頭が確認される。
昭和10年(1935年)栃洞鉱床において、海抜470m準より通洞を開削し、9番鉱床と5番鉱床の下部の探鉱と開発を行った。
昭和11年(1936年)茂住鉱床に0m通洞を開削し、100t/日出鉱する。
昭和14年(1939年)円山坑を開坑する。
昭和15年(1940年)円山鉱床から出鉱が開始される。
昭和18年(1943年)亜鉛電解工場を操業開始する。
昭和22年(1947年)茂住鉱床の-130m準の持ヶ壁6号坑を取明し、下部の探鉱を開始する。
昭和24年(1949年)栃洞鉱床において、坑道内を整備し2000t/日体制とする。
昭和28年(1953年)円山鉱床にケージ竪坑が完成する。
昭和34年(1959年)茂住鉱床のの-320m準の増谷通洞を開削する。
昭和43年(1968年)栃洞坑にトラックレスマイニング法を導入する。
昭和61年(1986年)三井金属より分離・独立し、神岡鉱業株式会社を設立する。
平成13年(2001年)神岡鉱山で亜鉛・鉛・銀鉱石の大規模採掘を中止する。
参考資料『日本の鉱床総覧』『三井金属Webサイト 神岡鉱山の歴史』『神岡鉱山史料』『神岡鉱山史』『神岡鉱山写真史』


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