九町鉱山は愛媛県西宇和郡伊方町九町(旧町見村)に位置した鉱山で、太平鉱業株式会社により稼行されていました。主に黄鉄鉱と黄銅鉱を採掘していました。
九町鉱山の概要
鉱山へのアクセスは伊予本線八幡浜駅から、川之石町を経由した西方約20km。もしくは船で九町へ向かい、九町から北方の山腹へ向かうと鉱山へ到着する。
一時的に付近に位置した町見鉱山を支山としていました。
大正6年の記録によると鉱夫の数は男性が124人、女性が19人となっています。
明治期の清家久米一郎氏が経営時代の鉱山情報は以下。
鉱区番号:4249号
鉱業人:清家久米一郎(清家粂一郎)
鉱区坪数:178,536
採掘にはダイナマイトを使用し、鉱石の運搬には坑道内外共にトロッコを使用して人力で、選鉱場または捨石堆積場へと運んでいた。
従業員の数は143名(坑夫23名、支柱夫2名、手子42名、選鉱夫2名、運搬夫63名、職工1名、雑夫10名)
鉱山経営者の清家久米一郎氏は伊方村長、県議会議員などを務めたほか、九町鉱山を開発して資金を溜め、明治44年に松山電気軌道株式会社を創立し、三津ー松山ー道後間に電車を開通させて、松山や道後の開発と交通の発展に尽くした。
九町鉱山の鉱床
銅鉱床の厚さは、10cm~30cm。品位は3~8%。
硫化鉱床の厚さは、50cm~200cm、品位は43~50%。
主な鉱区に2号坑𨫤、6号坑𨫤、4号坑𨫤、本𨫤坑が有る。
鉱脈に含まれる金属鉱物には、黄鉄鉱、黄銅鉱、斑銅鉱、磁鉄鉱などで、中粒緻密の塊状および縞状となる。
昭和36年までの坑道総延長は1,400m。
総産出金属量は明治29年から昭和4年までの35年間で、粗鉱量が145,367t、銅の品位が4%、硫黄の品位が45%となっている。
2号坑𨫤
2号坑𨫤は東側の伊方町に近く、大正15年に再度取明けを行い良鉱体に着鉱し、品位38%から45%の硫化鉄鉱を盛大に出鉱したが、のちに鉱況が悪くなり採掘が中止となった。
鉱体の規模は東西に126m、南北に75m、鉱脈の幅は12から15cm。
鉱脈の上下盤には鉄石英を伴い、下盤には磁鉄鉱層も見られた。
6号坑𨫤
6号坑𨫤は2号坑𨫤のさらに西南部に位置しており、西方より1番坑、2番坑、第三大切坑、水元斜坑、水元大切坑があり、西部には水平坑道も有った。
どの坑道も鉱体に着鉱し、相当の出鉱をした。
後の調査時にはほとんどの坑道が崩壊及び水没していた。
鉱体の規模は不明だが、採掘跡は東西約300m、南北約120m。
水元坑内の未採掘の鉱体の厚さは1.5から1.8m。
後にこの未採掘の鉱体採掘のため、水元大切坑が開坑された。
4号坑𨫤
6号坑𨫤の西南150mに位置していた。
明治35年から大正元年にかけて相当量を出鉱した。
鉱床の規模は東西220m、南北150m。
本𨫤坑
最も西方に位置する坑道。
九町鉱山の中では新しく開発され、昭和4年(1929年)に大切坑道の取明けが行われた。
鉱床の規模は東西360m、南北120m。
周囲にも鉱体が存在するが、断層が多く、無銅帯も多数見られる。
鉱床の厚さは18から33cm。形状は層状または脈状となる。
高品位部分では銅の品位が10.40%、硫黄の品位が35.99%、鉄の品位が35.21%、二酸化ケイ素の日にが8.16%となっている。
九町鉱山の歴史
明治22年から23年頃(1889年から1890年)旧町見村長の清家久米一郎氏が鉱山を発見する。
(資料によっては明治25年に都築温太郎氏が露頭を発見したとの記録もある)
明治32年(1899年)山口静夫氏が九町鉱山の鉱石を古宮に運び、精錬所を設置する準備を始めた。
明治45年(1912年)鉱山の賃金が2か月に渡って未払いとなり、鉱夫がストライキを行う。
大正元年(1912年)宮島直行氏に委託され、伊予鉱業株式会社を設立する。
大正3年(1914年)豊島直行氏、三津浜銀行、八幡浜商業銀行、長浜銀行等の債権者の共同経営となる。
大正10年(1921年)休山となる。
大正11年(1922年)鉱山が久原鉱業の手に渡る。
大正13年(1924年)休山となる。
大正14年(1925年)兵頭宇治吉氏が1万2000円で買収し、合名会社として経営に当たる。
大正15年(1926年)久原鉱業株式会社より池永富三郎氏が受け、6号坑付近に新鉱体を発見し、43,000tの硫化鉱を採掘する。
昭和5年(1930年)採掘を中止する。その後、昭和鉱業株式会社、帝国鉱業株式会社に委託。
昭和20年(1945年)太平鉱業株式会社の社長である、渡辺芳一氏の所有となる。
昭和28年(1953年)4月に開発に着手する。
昭和30年(1955年)この時点では探鉱中となっている。
参考資料『日本の鉱床総覧』『日本鉱産誌 B 第1-b (各論 主として金属原料となる鉱石 銅・鉛・亜鉛)』『愛媛県史 地誌 2 南予』『日本地方鉱床誌 四国地方』『佐賀関街道 : 関往還』『日本の層状含銅硫化鉄鉱床総覧』『伊方町誌 [増補改訂版]』『明治前期産業発達史資料 別冊 84 3』

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