高浦鉱山は愛媛県西宇和郡三崎町大字高浦に位置した鉱山です。

高浦鉱山の概要
高浦鉱山の昭和22年頃の情報によると以下になっています。
鉱区番号:愛媛県採登127号
面積:194,630坪
鉱種:金、銀、銅、硫化鉄鉱

高浦鉱山は慶応2年に川之石の矢野小太郎氏の所有となり、露頭の探鉱が行われたのが始まりとされる。
明治期になっては明治23年に三崎町高浦の人により稼行された記録が有り、明治43年8月(資料によっては明治41年9月)に大阪の藤野亀之助氏により採掘権の設定が行われ、大正2年12月に久原鉱業株式会社に譲渡移籍した。大正5年には鉱区を増やし、同6年8月には鉱種を金、銀、銅、硫化鉄鉱として稼行を行った。
当時採掘した鉱石は、対岸に位置した大分県の佐賀関製錬所へと送っていた。
最盛期は大正6年から7年頃で、当時は鉱夫が528名となり家族を含めると1000名以上の大規模な鉱山集落が出来ていた。しかし銅鉱業の不況から大正9年に休山となった。
大正末期から昭和初期にかけて銅の価格の低迷が続き休山が続いていたが、戦後の昭和21年に日本鉱業により稼行が再開されたが、昭和25年に休山。
昭和27年10月に藤本光明氏が租鉱権を設定し、昭和30年10月まで採掘を行うが租鉱権の期限満了のため一時休止となる。その後、西南開発金属鉱業協同組合の川之石選鉱場の鉱石確保のため、組合長の兵頭五郎氏が、昭和30年に租鉱権を設定し翌年の31年1月から操業を行った。当時の鉱夫は50名程で稼行を行っていた。
昭和35年には赤山鉱山が高浦鉱山の租鉱権を取得し、赤山鉱山高浦鉱業所として銅硫化鉱などを採掘していた。最盛期には月産1300トンを出鉱石していたが、昭和39年頃から鉱脈が薄くなり昭和40年に従業員を解雇し休山から閉山となった。
高浦鉱山の鉱床
高浦鉱山の鉱床は走向長250m、傾斜長170m。
鉱脈の幅は1.0mから4.0m、平均は1.8m。
鉱床の主な金属鉱物には黄鉄鉱、黄銅鉱、磁鉄鉱。
富鉱部には二次銅鉱が見られることも有った。

高浦鉱山の歴史
1866年(慶応2年)川之石の矢野小太郎氏の所有となり、露頭の探鉱が行われた。
1890年(明治23年)この年に三崎町高浦の人により鉱山が稼行した。
1893年(明治26年)川之石の矢野荘三郎氏が経営する。
1910年(明治43年)藤野亀之助氏により採掘権を設定した。(資料によっては明治41年)
1913年から1918年(大正2年から7年)久原鉱業株式会社により稼行された。
1919年(大正8年)3月に鉱夫75名が賃金引き下げに反対してストライキを起こした。
1920年(大正9年)銅鉱業の不況から休山となる
1946年から1950年(昭和21年から25年)日本鉱業株式会社により稼行された。
1950年(昭和25年)休山となる
1952年から1954年(昭和27年から29年)藤本光明氏と兵頭氏が租鉱権を得て稼行を行う。
1960年(昭和35年)日本精鉱の関連会社である赤山鉱山株式会社が租鉱権を設定した。
1965年(昭和40年)6月に赤山鉱山株式会社が租鉱権を返還し高浦鉱山は休山後閉山となる。
参考資料『日本の鉱床総覧』『5 萬分の1 地質図幅説明書 伊予三崎』『日本鉱業佐賀関製錬所 五十年のあゆみ』『日本の層状含銅硫化鉄鉱床総覧』『愛媛県史 地誌 2 南予』『日本精鉱株式会社五十年史』『四国鉱山誌』『三崎町誌』『日本地方鉱床誌 四国地方』

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