新居鉱山(愛媛県)

新居鉱山は愛媛県新居郡加茂村(現在の西條市藤之石字川来須)に位置した鉱山です。
場所は加茂川の上流の海抜650m付近に有りました。
日本鉱業株式会社により稼行されていました。

新居鉱山の概要

採登:144号
鉱区坪数:385,804坪

新居鉱山は元禄年間に発見され、時の藩主により稼行されたと伝えられています。
明治37年には松山鉱業が稼行したが、鉱状不良で休業状態となる。
松山鉱業は吹床7座を使って製錬していた。

大正年間3年に日本鉱業株式会社により精錬設備を有して開発され、年産1万トン、従業員153名で再開稼行を行いましたが、同年7年には鉱業界の不況により休業。

昭和8年に再開し、昭和9年には重要鉱山に指定され、昭和15年から16年頃に盛況を呈していましたが、昭和27年または28年頃に閉山しました。昭和10年の従業員数は57名。

坑道内で採掘された鉱石は、坑道内の漏斗に集め、鉱車にて郊外に搬出していた。
本坑より搬出した鉱石は第一索道により選鉱場へ。疎水坑口からの物はそのまま鉱車で選鉱場へと運んでいた。選鉱場で選別された鉱石は、第二索道の起点に移し、索道にて森林馬車軌道へと送った。

現在の国道194号線沿いには大正5年から昭和29年頃まで森林軌道が走っており、採掘していた鉱石はこの軌道によって船形地区まで運ばれ同所から馬車にて積出港である西條港へと運んでいた。
銅鉱石については直島製錬所に送られ他の鉱石と合わせて製錬された。その他の鉱石については売鉱された。

昭和8年から27年の間に、銅の品位2.45%の鉱石を33,300t採掘した。
昭和8年以降の総出鉱石量は96,250t。
大正年間は銅品位1.2%程度の鉱石を、年間約10,000t採掘していた。

鉱夫の住宅は7棟あり、合宿は1棟有った。住宅費は無料で、修繕費も徴収していなかったとの事。
また、嘱託医が毎週1回巡回した他、年に2回大掃除を行い衛生保持に努めていた。
鉱夫の合宿所には、囲碁、将棋、ラジオなどを備えたり、随時浪花節、映画の上映、相撲などの催し物を行っていたと記録が有る。

新居鉱山の鉱床

鉱床は走向延長300m、傾斜長250m、厚さは10~40cm。
主だった富鉱部は認められず。
新居本鉱床と谷崎鉱床の2つの鉱床があった。本鉱床は北へ、谷崎鉱床は南方向へと伸びていました。
また、鉱床は多くの小断層によって切られていた。

鉱床に含まれていた主な金属は黄鉄鉱、黄銅鉱。
脈石は緑泥石。

坑道の総延長は昭和36年までで7km。

新居鉱山の歴史

新居鉱山は元禄年間に発見され、藩主によって稼行されたと伝わる。
明治37年(1904年)松山鉱業合資会社が本坑を開削し製錬を行う。
明治45年(1912年)蝶野幸吉氏が掘削を実施する。
大正3年  (1914年)日本鉱業が鉱業権を譲り受けて操業を行う。
大正7年  (1918年)休山する。
昭和8年  (1933年)稼行を再開し、昭和15年から16年に最盛期となる。
昭和28年(1953年)休山し現在に至る。(資料によっては昭和27年閉山の記載あり)

 

参考資料『日本の鉱床総覧』『地形図でめぐる愛媛の地理探訪』『日本地方鉱床誌 四国地方』『日本の層状含銅硫化鉄鉱床総覧』『日本鉱産誌 B 第1-b』『日本鉱山総覧』『愛媛県史 地誌 2 東予東部』『最新大日本鉱山史』

コメント

タイトルとURLをコピーしました