基安鉱山は愛媛県西條市川来須(旧:愛媛県新居郡加茂村)に位置した鉱山で、住友金属鉱山株式会社により稼行されていました。
主に銅と硫化鉄鉱を採掘していました。
基安鉱山の概要
基安鉱山は愛知県と高知県境の伊予富士の中腹、海抜900~1000m付近に位置していました。
1950年頃の情報として、以下の情報が有ります。
採掘番号:愛媛県採登162号、193号。
位置:愛媛県新居郡加茂村地内
鉱種:銅、硫化鉄鉱
鉱業権者:井華鉱業株式会社
昭和26年には年間12,000t出鉱し、別子鉱山に送っていました。

基安鉱山の鉱床
基安鉱山の鉱床は基安鉱床、黒滝鉱床、桂鉱床の3つが有りました。


基安鉱床
鉱床の形状は長径1300m。短径は最大で200m、最小で30m。
脈幅は最大4m、最小0.5m、平均1.0m。
露頭は伊予富士の北斜面の標高1200m付近に位置している。
露頭には基安露頭、奥瀬戸露頭、富士露頭があり、それぞれ坑道掘削を行い地表と連絡している。鉱
鉱脈には、黄鉄鉱、磁鉄鉱、黄銅鉱が見られ、鉱脈はこれらの中粒緻密塊状または縞状となっていた。
脈石には緑泥石、石英、方解石、角閃石、藍閃石、緑簾石、スチルプノメレン。
黒滝鉱床
鉱床の形状は旧鉱で直径400m、短径150m、脈幅2~3m。
450m坑で、直径200m、短径150m、脈幅2m。
露頭は桑瀬峠東斜面の海抜1200m付近に有り、延長約700m。
新坑、錦坑等の坑道が有った。
鉱脈には、黄鉄鉱、磁鉄鉱、黄銅鉱、斑銅鉱が見られ、鉱脈はこれらの中粒緻密塊状または縞状となっていた。
脈石には緑泥石、石英、方解石、角閃石、藍閃石、緑簾石、スチルプノメレン。
昭和36年までに旧坑は4,000m、450m坑は1,800mの坑道が開削され、1,500mの黒滝鉱床と上瀬戸通洞も作られていた。
黒滝鉱床は明治年間に弘益殖産会社により開発され1898年から1900年頃に出鉱し、昭和18年(1943年)に井華鉱業株式会社が買収した。
桂鉱床
鉱床の形状は直径100m、短径50m、脈幅2m。
露頭は桑瀬峠西斜面の海抜1,100m付近に有る。
鉱脈には、黄鉄鉱、磁鉄鉱、黄銅鉱、斑銅鉱が見られ、鉱脈はこれらの中粒緻密塊状または縞状となっていた。
脈石には緑泥石、石英、方解石、角閃石、藍閃石、緑簾石、スチルプノメレン。
昭和36年までに約500mの坑道が掘られた。
基安鉱山の歴史
基安鉱山は明治初年頃に発見されたと言われているが、正式な年代は不明。
明治10年(1877年)この頃から明治40年(1907年)頃までは小規模に稼行し、山元で製錬を行っていたが後に廃山。
大正3年(1914年)に弘益殖産会社の所有となり、数年間は探鉱を行っていた。
昭和4年(1929年)基安と枝折間に索道を架設し、昭和5年から出鉱を開始した。
昭和5年(1930年)から同8年(1933年)間は鉱況も良好で、従業員も100名近くおり、月産400tに及んだ。
昭和12年(1937年)この頃に鉱況が不良となり、従業員も40名程度、月産100t。
昭和18年(1943年)住友金属鉱山株式会社の前身である、井華鉱業株式会社が買収した。
昭和18年(1943年)架空索道をさらに3.8km延長し、月産600tとなる。
終戦後の混乱期は採掘を一時終始する。
昭和26年(1951年)10月より本格的に出鉱を開始し、月産1000tとなる。
昭和32年(1957年)索道からトラック輸送に切り替える。
昭和36年(1961年)1月に黒滝鉱床が閉山となる。
昭和43年(1968年)2月15日に、選鉱場付近から出火し、事務所や寮など7棟が全焼する火事が有った。
昭和47年(1972年)10月に閉山となる。
参考資料『日本の鉱床総覧』『日本の層状含銅硫化鉄鉱床総覧』『四国鉱山誌』『日本地方鉱床誌 四国地方』『四国地方重要経済日誌 昭和43年』『西条市生活文化誌』


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