椎葉鉱山(宮崎県)

椎葉鉱山は宮崎県東臼杵郡椎葉村財木の本屋敷集落の南方8kmに位置しており、日本鉱業株式会社により稼行されていました。

椎葉鉱山の概要

椎葉鉱山は古くは財木(たからぎ)鉱山と称していましたが、日本鉱業株式会社の鉱区と合併したことにより、椎葉鉱山として一体的に稼行が行われました。

鉱山が発見された時代は不明だが、大正5~6年頃の福岡県の原康次郎(庫次郎?)氏が経営し、小規模ながら山元に精錬設備や住宅を建設して稼行した。
大正9年には阿蘇水力電気会社に移行され、その後に傍系の日窒鉱業株式会社に移譲された。
日窒鉱業株式会社は索道、送電線、機械設備などを整備し、昭和10年6月から本格的に出鉱した。

一方で日本鉱業株式会社は財木鉱山の東𨫤先側の鉱区を買収し、椎葉鉱山と称して昭和13年7月15日より東坑開発に着手。昭和18年9月までに第4竪坑を中心に、財木鉱山の𨫤先を採掘及び探鉱を行った。同年6月に日窒財木鉱山を買収併合して椎葉鉱山をして一体的に稼行した。

昭和19年12月に一時休山決定し昭和21年まで休山したが、同年8月より再開し昭和23年末からは下部探鉱のために竪坑の掘削を開始するも、昭和24年6月頃より出鉱は激減し、埋蔵鉱量も少なくなったため、昭和24年12月31日をもって休山となる。
なお、休山直前の昭和24年には従業員176人を数えるほどでした。

椎葉鉱山の鉱床

椎葉鉱山の主な鉱床には第一鉱体と第二鉱体があった。
第一鉱体は走向延長、50~100m、傾斜延長350m、垂直方向15~25m、脈幅1~3m。
第二鉱体は走向延長、30~60m、傾斜延長180m、垂直方向15~30m、脈幅1~3m。

鉱床に含まれる主な金属鉱物は黄鉄鉱と黄銅鉱および磁硫鉄鉱からなり、塊状の鉱石となっていた。
また、微量ながら金と銀を含む事も有った。

昭和36年までの坑道総延長は2,200m。

昭和18年から24年までの出鉱量は、鉱量が19,947t。
銅品位2.31%、銅量は461t。

椎葉鉱山の歴史

時代は不明だが、福岡の原康次郎氏が財木鉱山として稼行した。
1901年(大正9年)阿蘇水力電気会社に移譲された
1902年(大正10年)不況となり鉱山を日窒鉱業株式会社に移譲した。
1933年(昭和9年)9月に日窒財木鉱山として事業に着手した。
1935年(昭和10年)日窒財木鉱山として本格的に操業を開始した。
1943年(昭和18年)6月に日本鉱業が財木鉱山を買収したが、昭和19年に一時休業した。
1946年(昭和21年)8月に操業を再開し、0m坑道下部の排水を行い出鉱した。
1949年(昭和24年)12月に休山となる。

参考資料『日本の鉱床総覧』『地質調査所月報 5(3)』『日本の層状含銅硫化鉄鉱床総覧』『日本地方鉱床誌 第9』『日本鉱業佐賀関製錬所 五十年のあゆみ 』『奥地縦貫道路周辺資源開発調査報告書』

コメント

タイトルとURLをコピーしました