千歳鉱山は北海道千歳市美笛番外地に位置した鉱山です。
千歳鉱山株式会社により稼行されていました。
千歳鉱山の概要
千歳鉱山は北海道千歳市美笛番外地に位置した鉱山で、支笏湖西岸の美笛川に沿って約6.5Kmの上流に有りました。旧国鉄胆振線新大滝駅から17km。
昭和51年頃は一日数本のバスが鉱山まで通っていました。

千歳鉱山は昭和8年に大野真澄氏(直澄氏)により発見され、同10年に中島飛行機製作所系列の中島商事株式会社が買収しました。翌11年10月1日に千歳鉱山株式会社が設立。
昭和14年には1日250トン処理の青化製錬所を建設し、16年に処理能力を500トンまで増強しました。昭和18年には太平洋戦争時の金山整備令により、保坑鉱山となり保坑要員50名を残し、労働者と施設及び資材は他に転用されました。
太平洋戦争終結後の昭和20年12月から稼行を再開し、23年には直送上鉱(金の含有量150~200g/t)の採掘を再開し、月に60トンの鉱石を採掘しました。
昭和25年には三菱金属が経営に参加し資本金を2000万円に増資し、昭和29年にも6000万円に増資しました。昭和32年には三菱グループの荒川鉱業株式会社から手稲鉱山を、三菱金属鉱業株式会社より女那川鉱山を譲り受け、上記2鉱山を支山として経営しました。
昭和26年には月3,000トン処理の浮遊選鉱場が建設され、鉱石運搬のための索道も敷設されました。また、支笏湖を美笛から千歳川口に渡る定期船舶も運行されました。昭和27年になると支笏湖西岸への軌道を撤去してトラック運送とし、39年には索道も撤去されてトラックによる運送となりました。また、45年には支笏湖南岸湖畔を通る国道が開通し、船舶の運航は廃止となっています。


昭和40年になると高品位の鉱脈が発見されますが、昭和40年代後半から経営不振に陥り、昭和47年委は人員を半分に減らして規模を縮小。昭和52年には鉱山に有った小中学校が閉校し、鉱山の従業員は元山から千歳市街の住宅へと移り、そこからバス通勤を行うようになりました。
その後、鉱脈の枯渇や金相場の下落により、昭和61年2月に閉山となっています。
千歳鉱山の露頭
千歳鉱山には多くの露頭が有り、それぞれの露頭は以下の様になっていました。
オコタン𨫤
脈幅は0.5mで、露頭部の平均品位はAu 1.0g/t、Ag 20g/t、Mn 5%。
露頭の性状は凸地形を呈し、焼け方は弱く、硬軟は硬い部類。
石英質・粘土質の別では石英質で、鉱石は脈状を呈していた。
特徴的鉱物はMnO₂(酸化マンガン鉱)。母岩の変質の状態は弱い珪化となっていた。
フレナイ𨫤
脈幅は0.6mで、平均品位はAu 0.4g/t、Ag 9g/t。
露頭の性状はオコタン𨫤と同様に凸地形、焼け方は弱く、硬質で石英質、鉱石は脈状。
特徴的鉱物は氷長石・黄銅鉱。母岩の変質状態は弱い珪化—緑泥石化—黄鉄鉱化となっていた。
白銀第1𨫤
脈幅は0.8mで、平均品位はAuは微量、Agについても微量。
露頭の性状は凸地形、焼け方は弱く、硬質で石英質、鉱石は脈状。
母岩の変質状態は弱い緑泥石化です。
鳴尾𨫤
脈幅は1.0mで、平均品位はAu 0.8g/t、Ag 7g/t。
露頭の性状は凸地形、焼け方は弱く、硬質で石英質、鉱石は脈状。
母岩の変質状態は強い珪化となっていた。
黄金沢𨫤
脈幅は0.4mで、平均品位はAuおよびAgともに不明。
露頭の性状は凸地形、焼け方は弱く、硬質で石英質、鉱石は脈状。
特徴的鉱物に輝安鉱が見られた。
母岩の変質状態は強い珪化、氷長石化となっていた。
舞鶴本𨫤
脈幅は1.2mで、平均品位はAu 1,839.4g/t、Ag 6,162g/tと非常に高品位。
露頭の性状は凸地形、焼け方は弱く、硬質で石英質、鉱石は脈状。
特徴的鉱物は四面銅鉱が見られた。
母岩の変質状態は強い珪化、緑泥石化となっていた。
大黒3号𨫤
脈幅は0.4mで、平均品位はAu 450.0g/t、Ag 850g/t。
露頭の性状は凸地形、焼け方は弱く、硬質で石英質、鉱石は脈状。
母岩の変質状態は強い珪化、黄鉄鉱化、緑泥石化となっていた。
千歳鉱山の鉱床
千歳鉱山には大黒𨫤、大黒新𨫤、弁天𨫤、福神𨫤、鶴王𨫤、鶴声𨫤、舞鶴𨫤、黄金沢𨫤、鳴尾𨫤、フレナイ𨫤、オコタン𨫤、白銀𨫤など多くの𨫤や鉱床がありました。

鉱床に含まれる金属鉱物には輝銀鉱、雑銀鉱を主とする一次銀黒に伴って自然金の農集する細い条と、これを切る閃亜鉛鉱、方鉛鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱、濃紅銀鉱、雑銀鉱、輝銀鉱、脆銀鉱、輝安銀鉱、自然金、エレクトラム、輝安鉱からなる二次銀黒となっていた。
主な鉱床や𨫤は以下となっています。
大黒2号𨫤
鉱脈数は1で、走向はN80°E、傾斜は80°N。
昭和40年頃までの開発の走向延長は80m、傾斜延長は200m、平均脈幅は0.20m。
平均品位はAu 162g/t、Ag 567g/t。
潜頭鉱床は地表より鉱脈上限100m、最下部までは280mです。
大黒3号𨫤
鉱脈数は1で、走向はN80°E、傾斜は80°S〜N。
既開発の走向延長は700m、傾斜延長は360m、平均脈幅は0.80m。
平均品位はAu 18g/t、Ag 122g/t。
露頭鉱床の垂直深度は500m(試錐着脈点まで)で、潜頭鉱床は上限110m、下限320mです。
大黒前𨫤
鉱脈数は1で、走向はN80°E、傾斜は75°N。
既開発の走向延長は340m、傾斜延長は220m、平均脈幅は0.30m。
平均品位はAu 100g/t、Ag 123g/tです。
潜頭鉱床は上限120m、下限260mです。
弁天𨫤
鉱脈数は1で、走向はN80°W、傾斜は80°N。
既開発の走向延長は250m、傾斜延長は140m、平均脈幅は0.30m。
平均品位はAu 40g/t、Ag 89g/t。
潜頭鉱床は上限50m、下限370m。
北1号𨫤
鉱脈数は1で、走向はE-W、傾斜は80°S。
既開発の走向延長は500m、傾斜延長は320m、平均脈幅は0.60m。
平均品位はAu 20g/t、Ag 102g/t。
潜頭鉱床は上限50m、下限170m。
北2号𨫤
鉱脈数は1で、走向はN80°E、傾斜は80°N。
既開発の走向延長は500m、傾斜延長は120m、平均脈幅は0.50m。
平均品位はAu 6g/t、Ag 11g/t。
福神𨫤
鉱脈数は1で、走向はN45°E、傾斜は70°NW。
既開発の走向延長は450m、傾斜延長は240m、平均脈幅は0.60m。
平均品位はAu 15g/t、Ag 49g/t。
露頭鉱床の垂直深度は250m。
大黒新𨫤
鉱脈数は1で、走向はN75°E、傾斜は80°N〜S。
既開発の走向延長は120m、傾斜延長は120m、平均脈幅は0.30m。
平均品位はAu 585g/t、Ag 830g/tと非常に高品位。
潜頭鉱床は上限260m、下限380m。
鶴王𨫤
鉱脈数は1で、走向はN40°W、傾斜は80°SW。
既開発の走向延長は500m、傾斜延長は200m、平均脈幅は0.40m。
平均品位はAu・Agともに不明。
露頭鉱床の垂直深度は190mです。
鶴声𨫤
鉱脈数は1で、走向はN-S、傾斜は75°W。
既開発の走向延長は330m、傾斜延長は110m、平均脈幅は0.15m。
平均品位はAu・Agともに不明。
露頭鉱床の垂直深度は105mです。
舞鶴本𨫤
鉱脈数は1で、走向はN80°W、傾斜は80°S。
既開発の走向延長は1,200m、傾斜延長は250m、平均脈幅は1.50m。
平均品位はAu 6g/t、Ag 20g/t。
露頭鉱床の垂直深度は240mです。
黄金沢本𨫤
鉱脈数は1で、走向はN70°E、傾斜は80°N。
既開発の走向延長は600m、傾斜延長は200m、平均脈幅は0.60m。
平均品位はAu・Agともに不明。
露頭鉱床の垂直深度は190mです。
鳴尾𨫤
鉱脈数は1で、走向はN70°E、傾斜は85°S。
既開発の走向延長は400m、傾斜延長は130m、平均脈幅は1.50m。
平均品位はAu 1g/t、Ag 7g/t。
露頭鉱床の垂直深度は130mです。
フレナイ𨫤
鉱脈数は1で、走向はN65°E、傾斜は85°N。
既開発の走向延長は270m、傾斜延長は60m、平均脈幅は0.80m。
平均品位はAu 3g/t、Ag 15g/t。
露頭鉱床の垂直深度は60mです。
オコタン𨫤
鉱脈数は1で、走向はE-W、傾斜は85°S。
既開発の走向延長は400m、傾斜延長は30m程度、平均脈幅は0.65m。
平均品位はAu 1g/t、Ag 20g/t。
露頭鉱床の垂直深度は30m程度。
白銀第1𨫤
鉱脈数は1で、走向はN55°E、傾斜は80°N。
既開発の走向延長は400m、傾斜延長は30m程度、平均脈幅は0.85m。
平均品位はAu 微量、Ag 5g/t。
露頭鉱床の垂直深度は30m程度。
千歳鉱山の歴史
1933年(昭和8年)美笛川上流で大野直澄氏(真澄氏)外2名が舞鶴本𨫤の露頭を発見し鉱区を設定した。
1935年(昭和10年)中島商事株式会社の所有となり操業開始する。
1936年(昭和11年)千歳鉱山株式会社創立する。
1936年(昭和11年)美笛地区(元山)舞鶴鉱床群を開発、出鉱開始、鳴尾坑を探鉱する。
1938年(昭和13年)福神沢地区の開発を開始する。
1939年(昭和14年)250t/日の青化製錬所完成する。福神沢竪坑を開さくする。(-60mLまで)
1941年(昭和16年)青化製錬所増設する(500t/日)。
1943年(昭和18年)金山整備により製錬所、坑内外設備が転用され保坑鉱山となる。
1948年(昭和23年)直送上鉱の採掘再開する。60t/月、Au150~200g/t。
1951年(昭和26年)120t/日の浮遊選鉱場完成し、本格的操業開始する。
1952年(昭和27年)フレナイ𨫤開発する。
1953年(昭和28年)福神沢竪坑を開さくし、翌年-120mLに達する。
1954年(昭和29年)白銀第一𨫤開発する。
1957年(昭和32年)元山の黄金沢地区およびフレナイ地区が休山となる。
1959年(昭和34年)元山の舞鶴沢地区を休山、福神沢地区に集中する。
1960年(昭和35年)福神沢竪坑を開さくする、翌年-180mLに達する。
1963年(昭和38年)さらに竪坑を掘下げる。-300mLに達する。
1964年(昭和39年)鳴尾坑再開、翌年9月休止する。41年試錐探鉱する。
1966年(昭和41年)大黒新鑨富鉱脈発見、探鉱促進する。
1986年(昭和61年)閉山となる
参考資料『日本の鉱床総覧』『地下資源調査所報告 (52)』『北海道の地熱・温泉 (B)西南北海道北部 (地下資源調査所調査研究報告 ; 第4号)』『金属鉱山における労働協約集』『北海道鉱山学会誌 10(3)』『北海道地質要報 (20)』『千歳市史 増補』『鉱山写真帖』『千歳を知る : 「千歳を知る会」十周年記念誌』


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