日立鉱山(茨城県)

茨城県の鉱山

日立鉱山は茨城県日立市宮田町に位置した鉱山で、主として銅と酸化鉄を採掘していました。
鉱山を所有していた久原房之助氏の財閥である久原財閥の母体となった事や、日立鉱山の鉱山機械の修理部門から日立製作所が誕生した事でも知られています。

古くは赤沢銅山として小規模に稼行されていましたが、久原房之介の稼行後は日立鉱山として本格的な開発が行われました。

日立鉱山は昭和56年(1981年)9月30日に閉山となりました。

日立鉱山の概要

日立鉱山の鉱床はキースラーガー鉱床です。
鉱床帯の延長は3000m以上、厚さは最大80m、傾斜延長は1000m以上でm全体的にV字型をしています。
露頭は鉱床帯に沿って多数あり、最高地点は海抜500m付近にまで位置します。

主な鉱床帯は、入四間鉱床、藤見鉱床、笹目鉱床、中盛鉱床、神峰鉱床、本坑鉱床、赤沢鉱床、高鈴鉱床が有ります。

鉱床に見られる鉱物や岩石については、石英、重晶石、黒雲母、緑泥石、方解石、菫青石、直閃石、カミングトン石、電気石、石膏、硬石膏、菱鉄鉱、紅柱石、珪線石、普通角閃石、陽起石、緑簾石、柘榴石、黝簾石、透輝石、灰鉄輝石など。
金属鉱物には、黄鉄鉱、黄銅鉱、磁硫鉄鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、磁鉄鉱、鉄閃亜鉛鉱、白鉄鉱、キューバ鉱、バレリー鉱、硫蒼鉛銅鉱などが見られる。

日立鉱山の南方約3kmの位置には諏訪鉱山も有り、日立鉱山の支山として稼行していました。

日立鉱山の歴史

天正19年(1591年)豊臣秀吉により朱印書を受けた、佐竹義重により探鉱が行われる。
寛永17年(1640年)永田茂右衛門氏が赤沢銅山の開発に着手するが、20年に出水などにより中止となる。
宝永2年(1705年)紀伊国屋文左衛門が赤沢銅山の採掘を行うが失敗に終わる。
文久元年(1861年)大塚源吾衛門氏が開発し、銅鉱石2000貫の採掘を行う。
文治元年(1864年)天狗党の別動隊である田中原蔵などが赤沢銅山を破壊する。
明治6年(1873年)佐賀県の副島欣一氏が多賀郡助川村の長山萬之助氏を代理人として赤沢銅山の試掘の許可を得るが、操業せずに休山となる。
明治12年(1879年)西茨城郡の檜山宗一郎氏が入四間の御岩山付近で銅鉱石を採掘する。
明治15年(1882年)副島欣一氏が銅山の試掘権利を長山萬之助氏へ譲渡するが、操業を行わず休山となる。
明治17年(1884年)長山萬之助氏が鉱山の所有権を埼玉県の荒井常蔵氏に譲渡するが、操業を行わず休山となる。
明治19年(1886年)荒井常蔵氏が猿島郡の中山芳兵衛氏に鉱山所有権を譲渡するが、操業を行わず休山となる。
明治25年(1892年)中山芳兵衛氏が栃木県の平野良三氏に鉱山所有権を譲渡する。
明治27年(1894年)野良三氏が熊本県の高橋元長氏と城野琢磨氏に鉱山所有権を譲渡し、採掘に着手する。
明治29年(1896年)多賀郡の農民が鉱山と鉱毒問題で争う。
明治33年(1900年)高橋元長氏らが横浜の松村常蔵氏、小林啓助氏に鉱山所有権を譲渡する。
明治34年(1901年)松村常蔵氏等が横浜の貿易商のボイエス商会に鉱山所有権を譲渡する。ボイエス商会によって赤沢鉱業合資会社が設立される。赤沢鉱業合資会社には松村常蔵氏等も出資を行う。
明治38年(1905年)久原房之介氏が当時の金額30万円で赤沢銅山を買収し、久原鉱業所として開発を行う。12月には鉱山名を日立鉱山と改める。
明治41年(1908年)大雄院精錬所が完成する。日立鉱山の電気鉄道の助川から大雄院間が開通する。
明治42年(1909年)日立鉱山夜学校が開校する。
明治43年(1910年)神峯山頂に煙害などの観測の為、鉱山気象観測所を設置する。
明治44年(1911年)電気精錬工場の操業を開始する。
大正元年(1912年)久原房之介氏が資本金1000万円にて、久原鉱業株式会社を創設。
大正4年(1915年)日立鉱山煙害対策の為、海抜325mの山頂に500尺(高さ約155.7m)の煙突が完成する。
大正9年(1920年)日立製作所が分離独立する。
昭和3年(1928年)久原房之介氏が政界進出の為、久原鉱業株式会社が日本産業株式会社と社名を改称する。日本産業株式会社は日産コンツェルンの鮎川義介氏が社長となる。
昭和4年(1929年)日本産業より鉱業部門が分離し、日本鉱業株式会社を設立する。
昭和15年(1940年)硫酸工場の操業が開始する。
昭和21年(1946年)天皇陛下が来山する。
昭和27年(1952年)3万トン計画の浮選設備が完成する。
昭和35年(1960年)日立鉱山専用電気鉄道の廃止。
昭和36年(1961年)5万トンに増産する。
昭和48年(1973年)日立鉱山が日本鉱業株式会社から分離され、日立鉱山株式会社になる。
昭和56年(1981年)9月30日に閉山となる。

参考資料『日本の鉱床総覧』『日本地方鉱床誌 関東地方』『常陸太田市史編さん史料 8 (常陸太田地方における日立鉱山煙害史料)』『日立鉱山史』

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