興田鉱山

興田鉱山は岩手県東磐井郡大東町字冲田(旧岩手県東磐井郡興田村大字中川、 岩手県陸中国東磐井郡興田村大字中川小字根岸)に位置した鉱山です。

興田鉱山の概要

明治時代に稼行され亜鉛鉱と銅鉱石を採掘した。
鉱山の発見時期は不明だが、明治6年及び7年に雨宮氏と木村氏が3年間探鉱を行い、明治39年に下瀬氏(下村氏?)が採掘権を取得し稼行する。明治41年7月に横山久太郎氏が鉱山を譲り受け、同年11月から鉱石の採掘に着手した。

その後昭和29年にラサ工業が鉱山を買収し、田老鉱山の支山として探鉱を行うが、主だった成果や採掘は行わなかった模様である。

明治42年には亜鉛鉱を262t採掘、品位は39.96%。同じく銅鉱は9.4t採掘、品位は6.0%。
明治43年には亜鉛鉱を28t採掘、品位は不明。同じく銅鉱は1.9t採掘、品位は6.6%。
横山久太郎氏の稼行時は、鉱夫18名、雑夫6名、選鉱夫(女性)が10名働いていた。

稼行時鉱石は破砕され、手選により亜鉛分40%の鉱石として、大船渡港から横浜に送られたうえ、海外に輸出された。銅鉱石は6%前後の精鉱として釜石製錬所に送られていた。
当時は輸送の便が無く、馬の背や馬車により運搬を行った。

坑道には中切坑や一号坑道などが有った。
昭和31年の時点で坑道は崩壊していたいた様子。

興田鉱山はキースラーガー鉱床で、鉱床は延長100~200m。厚さ1~5m(平均厚さが2m)。
露頭の延長は150m。厚さ5mの物が2つ。
主な鉱石は黄銅鉱、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱。

興田鉱山の歴史

明治以前より稼行をしていたが詳細は不明。
明治6年(1873年)雨宮氏、木村氏により3年間探鉱しその後休山となる。
明治39年(1906年)下村(下瀬?)氏が採掘権を取得し、鉛亜鉛鉱山として稼行する。
明治41年(1908年)試掘権を横山久太郎氏が取得し、採掘を行う。
明治42年及び43年に鉛、亜鉛鉱320t(品位4%)、銅鉱14t(品位6.6%)を生産する。
昭和29年(1954年)ラサ工業が買収し、田老鉱山の支山として探鉱を行う。
昭和31年(156年)ラサ工業より分離し東洋鉱山に移管され鉱区全域の探鉱を行う。
昭和34年(1959年)再びラサ工業株式会社に合併する。この時点で休止中となっている。
昭和36年(1962年)探査を実施する。

参考資料『日本の鉱床総覧』『故大島高任閣下功績伝承録・故釜石鉱山田中製鉄所所長横山久太郎殿功績録』『ラサ工業80年史』『平林武 フィールドノート』『岩手県地質説明書 第2」

コメント

タイトルとURLをコピーしました