秩父鉱山は現在の埼玉県秩父市埼玉県秩父市中津川に位置した鉱山です。
秩父市合併前は埼玉県秩父郡王滝村に有りました。
秩父鉄道の秩父駅西方約43キロ、三峰口駅の西方28キロにあり、当時はバス便が通っていました。
秩父鉱山の稼行当時の選鉱場
秩父鉱山の地質図と各鉱床の位置図
秩父鉱山の概要
秩父鉱山の歴史は古く、1600年頃から甲斐武田氏が金や砂金の採掘を行っていたとされています。
江戸時代には平賀源内も金や銀の採掘を目的にやってきており、当時住んでいた建物が源内居として残されています。
鉱山はマグマの貫入によって出来た接触変性鉱床で、石灰岩との接触によるスカルン鉱床からは良質な結晶質石灰岩や数多くの金属鉱物が生成されました。金属鉱物は140種を超える種類が発見されています。
秩父鉱山で主に採掘されていた鉱物は、金、銀、銅、鉛、硫化鉄、マンガン、亜鉛、鉄などと多様で、一時は日本有数の鉱山でも有りました。
文政8年に「ひら平鉱山(後の大黒坑)」が幸島喜平氏により発見される。
明治の初年に大黒坑の持ち主が群馬県多野郡上野村の黒沢重蔵氏となる。
大正7年に大黒坑が大分の大渕親氏を仲介人として東京の浅野家に5万円で譲渡される。この際に大渕氏の「大」の字と、黒沢氏の「黒」の文字を用いて、「ひら平」の地名が「大黒」となり、坑道名も大黒坑道となる。
大黒坑を手にした浅野家でしたが、第一次世界大戦後の鉄鋼価格暴落に伴い、一定の期限後に大黒坑の権利を放棄する。後の昭和9年に東京の柳瀬貞三氏がブローカーを通じて大黒坑の権利を手に入れる。
六助鉱は明治に入ってから、群馬県多野郡上野村の植木馬次郎氏、中津川の山中嘉太郎氏、東京都目黒の鈴木忠治氏、およびその妻の鈴木えつ氏の手を経て、日窒の所有となる。
赤岩坑は明治40年頃には鉱山東京の永岡啓三郎氏が所有していた。
明治43年(44年?)に永岡氏から赤岩坑を1万1500円で買収し、それまで小倉沢金山と呼ばれていた鉱区を秩父鉱山と命名した。なお、永岡啓三郎氏は柳瀬貞三氏の父である万吉氏からも出資を受けて鉱山を経営していた。
明治40年頃からイギリスのアイスラー教授等が技師を携えて鉱山の調査に来ており、明治43年に柳瀬氏より6万5千ポンドの金額で譲渡を受けている。しかし、主要な鉱床を発見するに至らず、数か月で鉱山を放棄し、再び鉱山の権利が柳瀬氏に戻っています。
柳瀬氏はアイスラー教授等が去った後、彼らの試掘した坑道を掘り進み、金を大量に含む鉱体を発見し、この坑道を技師のホロウェー氏の名前からホロウェー坑と名付け、その後にも有望な金の鉱床を発見しています。
大正3年に第一次世界大戦が勃発したことにより、秩父鉱山は主として採掘していた金から、鉄を採掘する鉄鉱山に転換しました。この頃浅野セメントの淺野總一郎氏が1千万円で秩父鉱山の買収を柳瀬氏に持ち掛けてきましが、柳瀬氏はこれを拒否しました。
大正7年に第一次世界大戦が終了しましたが、鉄鋼価格の暴落や日本経済の恐慌などから、秩父鉱山は10年近く休山状態となりました。
その後赤岩坑から金が採れた事により、秩父鉱山は再び活気を取り戻し、昭和9年に大黒坑を柳瀬氏が併合し、索道等の設備を整備しました。
昭和12年に秩父鉱山は柳瀬氏の柳瀬商工株式会社から、日窒に鉱山を譲渡しました。
日窒の経営になってからは採掘された鉱石は日本鋼管、三井金属鉱業、日立製作所、日産化学、新日本窒素、中央電気工業、矢作製鉄などに出荷されました。
秩父鉱山の鉱物
秩父鉱山の主な鉱物には以下の物が有ります。
『元素類鉱物』
自然金、自然銅
『硫化鉱物』
鉄閃亜鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱、方鉛鉱、硫砒鉄鉱、磁硫鉄鉱、輝安鉱、白鉄鉱、斑銅鉱、輝銅鉱、輝水鉛鉱、輝蒼鉛鉱
『流塩鉱物類』
車骨鉱、毛鉱、四面銅鉱、硫安鉄鉱、マチルダ鉱、含水安鉛鉱、ブーランジェ鉱、セムセイ鉱
『酸化鉱物類』
磁鉄鉱、赤鉄鉱、鏡鉄鉱、褐鉄鉱、軟マンガン鉱、硬マンガン鉱、横須賀石、轟石、マンガン土、石英、蛋白石、珪酸ゲル、尖晶石
『炭酸塩鉱物類』
方解石、霰石、菱マンガン鉱、菱苦土鉱、菱鉄鉱、苦灰石、マンガン方解石、マンガン鉄白雲石、白鉛鉱、孔雀石、藍銅鉱
『燐酸塩鉱物』
葱匂石、燐灰石、緑鉛鉱
『硫酸塩鉱物類』
石膏、硫酸銅、硫酸鉛鉱、綠ばん
『珪酸塩鉱物類』
電気石、柘榴石、ベスブ石、珪灰鉄鉱、異極鉱、白雲石、ザンソフィル石、緑泥石、斧石、くさび石、ブドウ石、輝沸石、菱沸石、硅孔雀石、透輝石、灰鉄輝石、灰鉄輝石、バラ輝石、バスタム石、硅灰石、ヨハンゼン石、マンガン鉄輝石、カリ長石、角閃石、陽起石、モンモリロナイト、カオリナイト、ハロイサイト
秩父鉱山道伸窪鉱床付近の黄鉄鉱
秩父鉱山の鉱床
鉱床も多く、主な鉱床には中津鉱床、滝上鉱床、大黒鉱床、和那波鉱床、六助鉱床、赤岩鉱床、道伸窪鉱床、石灰沢鉱床、うずの沢鉱床、山鳥窪鉱床、やせ尾根鉱床、白岩鉱床、斉藤沢鉱床、狩倉鉱床、両神鉱床などが有りました。
秩父鉱山の各鉱床における鉱物分布図
中津鉱床
中津鉱床の主な鉱物は、鉄、硫化鉄。
古くは満俺坑、中津沢旧坑、桃ノ窪坑、山鳥峠ノ道側旧坑などが有りました。
滝上鉱床
滝上鉱床の主な鉱物は、硫化鉄、銅、亜鉛、鉄。
滝上鉱床では柘榴石のスカルン中に銅や硫化鉄を含む鉱床が有り、銅の品位が比較的高く秩父鉱山における銅採掘の重要鉱床となっていました。
滝上鉱床近くの滝下坑の図
滝上坑の坑口(2022年5月)
大黒鉱床
大黒鉱床の主な鉱物は、亜鉛、鉛、銅、金、銀、硫化鉄、鉄、マンガン。
秩父鉱山で第二次世界大戦後に主として開発された鉱床となっています。秩父鉱山では主力の金属鉱床で、金属鉱物の採掘を終了するまでの約40年間稼行されました。
昭和20年代に相次いで、亜鉛の大富鉱帯が発見され、開発が急激に進みました。
亜鉛の採掘後は下部の鉄や硫化鉄を採掘しました。
古くは音羽坑、松本坑、新盛坑などが有りました。
大黒鉱床断面図
和那波鉱床
和那波鉱床の主な鉱物は、鉄、硫化鉄、銅。
六助鉱床
六助鉱床の主な鉱物は、亜鉛、鉛、銅、アンチモン。
赤岩鉱床
赤岩鉱床の主な鉱物は、亜鉛、鉛、銅、金、銀、硫化鉄。
赤岩鉱床は戦後しばしば採掘と休止を繰り返していましたが、昭和32年前後に旧鉱区の下部に、亜鉛の富鉱帯が発見され採掘が軌道に乗りました。
赤岩鉱床断面図
道伸窪鉱床
道伸窪鉱床の主な鉱物は、鉄、銅、硫化鉄。
かつては小規模に露頭からの鉄鉱採掘が行われていましたが、昭和34年に露頭の下部200~300m付近に秩父鉱山最大級の鉄鉱床が発見され、昭和36年から本格的な操業が行われました。
金属鉱物の採掘は昭和48年3月に終了しました。
道伸窪図
道伸窪坑道坑口(2022年5月)
秩父鉱山の歴史
慶長13年(1610年)現在の中津鉱床付近で金の採掘と砂金の採掘を行った。
明和3年(1766年)平賀源内氏が金、銀、鉄を採掘する目的で秩父鉱山に訪れたが、目立った成果を出すことが出来ず、2年ほどで立ち去った。
天明2年(1783年)中津坑が開発された。
天保15年(1844年)奥州の金掘師おとわ八太郎氏らが大黒坑付近で金鉱を発見する。(音羽坑)
文政8年(1826年)大黒坑が幸島喜平氏により発見され、銀鉱石の採掘が行われた。
天保15年(1844年)六助坑が発見され、金鉱石の採掘が行われた。
弘化2年(1845年)赤岩坑が発見され、金鉱石の採掘が行われた。
明治44年(1911年)赤岩坑がイギリス系の日本鉱業開発合名会社の手に渡る。
明治45年(1912年)赤岩坑が柳瀬商工株式会社の手に渡る。
大正5年(1916年)秩父鉱山から皆野間に索道を建設する
大正7年(1918年)秩父鉱山の経営が高田商会と柳瀬氏との共同出資により秩父興業株式会社となる。
大正7年(1918年)浅野総一郎氏が黒沢重蔵氏より大黒坑を買収する。
大正12年(1923年)関東大震災等により高田商会が破産し、柳瀬商会の経営となる。
昭和9年(1934年)浅野総一郎氏より、大黒坑が柳瀬商工株式会社の手に渡る。
昭和12年(1937年)日本窒素肥料株式会社が、柳瀬商工株式会社から六助坑、大黒坑、赤岩坑等の鉱業権及び関連する不動産や設備等を買収する。
昭和12年(1937年)山本から納宮間の索道を建設する
昭和15年(1940年)処理能力4,000t/月の選鉱場が完成する。
昭和21年(1946年)納宮から三峰口間の索道を延長する。
昭和25年(1950年)日窒鉱業株式会社(ニッチツの前身会社)が設立される。
昭和27年(1952年)大黒坑下部から亜鉛の大鉱体を発見する。
昭和30年(1961年)中津鉱床のマンガン鉱の採掘を開始する。
昭和32年(1963年)中津鉱床のマンガン鉱の採掘が終了。大黒坑のマンガン鉱の採掘を開始する。
昭和33年(1958年)処理能力10,000t/月となる。
昭和34年(1959年)大黒坑の乾式磁力選鉱場を新設し、鉄硫化鉱の採掘を開始する。
昭和36年(1961年)道伸窪坑において磁鉄鉱の大鉱床を発見する。
昭和36年(1961年)処理能力12,000t/月となる。
昭和43年(1968年)大黒坑でのマンガン鉱採掘が終了。
昭和44年(1969年)中津坑が閉山する。
昭和44年(1969年)珪砂の採掘を開始する。
昭和45年(1970年)処理能力48,000t/月となる。
昭和45年(1970年)石灰沢鉱床の結晶質石灰原石の採掘を開始する。
昭和47年(1972年)赤岩坑の採掘が終了する。
昭和48年(1973年)道伸窪坑の鉄採掘が中止となり、以後は坑内の貯鉱の処理を行う。
昭和48年(1973年)日窒鉱業株式会社として独立する。
昭和53年(1978年)結晶質石灰岩以外の金属鉱物採掘が終了となり、以後秩父鉱山は石灰鉱山となる。
平成元年(1989年)株式会社ニッチツとなる。
平成13年(2001年)珪砂の製造を中止する。
令和4年(2022年)9月30日にニッチツによる石灰採掘事業が終了し閉山する。
令和4年(2022年)12月31日にニッチツ秩父事業所が閉鎖となる。
参考資料『日本の鉱床総覧』『ニッチツのあゆみ』『秩父鉱山の面影展図録』『日本地方鉱床誌』『埼玉県地下資源報告書』『続・秩父鉱山』

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