鴻之舞鉱山は北海道紋別市鴻之舞末広町に位置した鉱山です。
住友金属鉱山株式会社により、金・銀・銅を採掘していました。

鴻之舞鉱山の概要
鴻之舞鉱山は大正5年に砂金を探していた、沖野永蔵氏と羽柴義鎌氏がクオマナイ沢の奥地で元山大露頭を発見したのが始まりとされています。同年に沖野氏と羽柴氏により鉱区が設定さるも、鉱区の競合と紛争が起こり協議の末に組合組織として運営が行われることになりました。
この際の組合組織のメンバーは、沖野永蔵氏、羽柴義鎌氏、今堀喜三郎氏、飯田嘉吉氏、池沢亨氏、岩倉梅吉氏、中野半次郎氏、鳴沢弥吉し、橘光桜氏となっています。組合となった際に鉱山の名称も「クオノマイ」「久宝能舞」等の案から「鴻之舞」となりました。
組合となってから鉱山の運営を行っていましたが、設備投資の資金や技術の不足などから効率よい運営が難しくなり、大正6年の2月18日に住友本社に鉱山を90万円で売却し、売却した費用は組合員で分配しました。
鉱山を買収した住友は7月に札幌に鉱業所を設け鉱山の開発に当たり、大正7年に精錬所を完成させ本格的な操業を開始しました。
開発当初は好調でしたが第一次世界大戦後の物価高騰に対し、金の値段は据え置かれていた事から経営が赤字となり、大正9年には早くも鉱山の閉鎖案が出ました。

大正10年になると第一次世界大戦後の反動により不況となり物価が下落しましたが、逆に金は値段が据え置かれていた事が功を奏した他、鉱脈の探鉱や金の製錬技術の向上により、鴻之舞鉱山は利益を出すことができるようになりました。
昭和になると鴻之舞鉱山は住友本社直轄の鉱業所となり中核鉱山となり、積極的な開発と探鉱が行われ、昭和4年に元山第一鉱床、昭和9年には元山第二鉱床、昭和10年に元山第三鉱床などが発見されています。昭和11年になると金の産出量は年間2トンを超えて全国1位の金山になりましたが、昭和18年の金鉱山整備令により休止となりました。
終戦後の昭和20年11月に鴻之舞鉱山は稼働を再開し、昭和27年住友金属鉱山の運営となりました。

昭和30年代後半になると鉱床の枯渇により、試掘が終了する鉱区が出るようになりました。そのため新たな鉱床の探査が行われましたが、思うような成果は無く徐々に減産体制となり、昭和46年に生産規模を大きく縮小し、昭和48年の5月24日に閉山となりました。
鴻之舞鉱山の鉱床
鴻之舞鉱山の主な鉱床には、三王鉱床、2号鉱床、5号鉱床、6号鉱床、8号鉱床、住吉鉱床、元山本鉱床、元山第1鉱床、元山第2鉱床、元山第3鉱床、藤島鉱床がありました。
鉱床の金属鉱物は自然金、自然銀、輝銀鉱、輝安銀鉱、濃紅銀鉱、黄鉄鉱、白鉄鉱を主として、黄銅鉱、四面銅鉱、藍銅鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱を伴っていた。
鉱脈の石鉱には石英、玉髄、方解石を主として、富鉱部には氷長石が見られ、他の石としてカオリン、モンモリロン石、絹雲母、緑泥石が有った。
昭和41年3月までの坑道総延長は275,700m。
試錐の総延長は70,275m。

三王鉱床
三王鉱床の鉱脈数は1、走向延長400m、傾斜延長280m、平均脈幅2.0m。
金の品位は3.1g/t、銀の品位は22g/t。
三王鉱床には露頭が有り、露頭部の脈幅は3.0m。
金の品位は3.1g/t、銀の品位は22g/t。
露頭部からは垂直距離で260mの深さまで開発されました。
2号鉱床
2号鉱床の鉱脈数は2、走向延長400m、傾斜延長135m、平均脈幅2.0m。
金の品位は2.1g/t、銀の品位は79g/t。
露頭部からは垂直距離で120mの深さまで開発されました。
5号鉱床
5号鉱床の鉱脈数は2、走向延長2,100m、傾斜延長560m、平均脈幅10.0m。
金の品位は4.2g/t、銀の品位は93g/t。
露頭部からは垂直距離で500mの深さまで開発されました。
6号鉱床
6号鉱床の鉱脈数は2、走向延長300m、傾斜延長135m、平均脈幅2.5m。
金の品位は3.8g/t、銀の品位は44g/t。
露頭部からは垂直距離で120mの深さまで開発されました。
8号鉱床
8号鉱床の鉱脈数は1、走向延長2,500m、傾斜延長350m、平均脈幅7.0m。
金の品位は2.0g/t、銀の品位は71g/t。
露頭部からは垂直距離で320mの深さまで開発されました。
住吉鉱床
住吉鉱床の鉱脈数は1、走向延長900m、傾斜延長220m、平均脈幅8.0m。
金の品位は7.8g/t、銀の品位は87g/t。
露頭部からは垂直距離で220mの深さまで開発されました。
元山本鉱床
元山本鉱床の鉱脈数は1、走向延長650m、傾斜延長275m、平均脈幅3.3m。
金の品位は2.1g/t、銀の品位は10g/t。
露頭部からは垂直距離で250mの深さまで開発されました。
元山第1鉱床
元山第1鉱床の鉱脈数は95、走向延長450m、傾斜延長190m、平均脈幅0.5m。
金の品位は3.8g/t、銀の品位は30g/t。
露頭部からは垂直距離で190mの深さまで開発されました。
元山第2鉱床
元山第2鉱床の鉱脈数は1、走向延長700m、傾斜延長340m、平均脈幅5.0m。
金の品位は3.5g/t、銀の品位は30g/t。
露頭部からは垂直距離で300mの深さまで開発されました。
元山第3鉱床
元山第3鉱床の鉱脈数は1、走向延長1,200m、傾斜延長180m、平均脈幅2.0m。
金の品位は1.6g/t、銀の品位は118g/t。
露頭部からは垂直距離で160mの深さまで開発されました。
藤島鉱床
藤島鉱床の鉱脈は網状鉱化体で8本の鉱脈が有った。
走向延長250m、傾斜延長90m、平均脈幅15.0m。
金の品位は4.8g/t、銀の品位は85g/t。
鴻之舞鉱山の歴史
1915年(大正5年) 紋別村の住人により元山本鉱床露頭が発見される。
1917年(大正6年) 住友本社で鉱山を買収する。
1918年(大正7年) 製錬場と選鉱場を完成させる。
1919年(大正8年) 青化製錬所が操業を開始する。
1929年(昭和4年) 元山第一鉱床が発見される。
1931年(昭和6年) 5号脈に着脈する。
1934年(昭和9年) 元山第2鉱床発見される。
1942年(昭和17年) 1日処理量3,000t、従業員4,650名となる。
1943年(昭和18年) 金山整備により休山となる。
1948年(昭和23年) 鉱山再開が認可される。
1949年(昭和24年) 鉱山の稼行を再開。1日処理量400t。
1951年(昭和26年) 7月30日に住吉鉱床に着脈する。
1953年(昭和28年) 製錬設備増設に着手し翌29年に完成する。1日処理量1,350t。
1955年(昭和30年) 1日処理量1,300t従業員1,100名となる。
1961年(昭和36年) 藤島鉱床に着脈する
1963年(昭和38年) 企業合理化に伴って生産規模縮少。1日処理量750t従業員520名となる。
1967年(昭和42年) 生産規模を縮小し、1日処理量660tとなる。
1971年(昭和46年) 生産規模を縮小し、1日処理量200tとなる。
1973年(昭和48年) 5月24日に閉山となる。
1973年(昭和48年) 8月26日沈殿池が決壊し、漏水対応を行っていた作業員1名が死亡し、河川が汚染された。
参考資料『日本の鉱床総覧』『住友別子鉱山史 別巻』『紋別市史』『鴻之舞金山 : 紋別市立郷土博物館特別展』『住友別子鉱山史 下巻』

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