磯部珊瑠鉱山(北海道)

北海道の鉱山

磯部珊瑠鉱山(サンル鉱山)は北海道上川郡下川町大字珊瑠位置し、下川駅の北方16kmの場所に有りました。
合同資源産業株式会社により稼行されました。

磯部珊瑠鉱山の概要

磯部珊瑠鉱山は元々は珊瑠鉱山と呼ばれていましたが、現在の株式会社合同資源の前身企業である磯部鉱業株式会社が鉱山を取得したことにより、『磯部珊瑠鉱山』の名称となりました。三井による開発時は『三井珊瑠鉱山』とも呼ばれていました。

鉱山の発見は資料によって違う部分が有るのですが、寺島庄太郎氏転石を発見してその後別の人物が露頭を発見したと記載されているもの、サンル集落の農夫山下喜六氏と山本金作氏等が珊瑠川の支流であるオクルマツトマナイ上流の沢で釣りをしていた際に、異様な岩石を発見し鑑定の結果金銀ん功績で有ったというもの、成定市松氏が露頭を発見した等が有ります。

大正期は幾人もの手に渡って稼行されましたが、大正15年に三井財閥に鉱山が渡り三井砂川鉱業所の管轄として探鉱と採掘が行われ、昭和8年に独立して三井珊瑠鉱業所(三井珊瑠鉱山)となりました。

昭和18年には第二次世界大戦による金山整備令の為に帝国鉱発株式会社へ譲渡し休山となる。
戦後は磯部清氏が帝国鉱発株式会社から鉱山の購入し、磯部鉱業株式会社珊瑚鉱山として稼行し後に磯部鉱業は合同資源産業株式会社となりました。

昭和50年代になると埋蔵量が枯渇し始め、昭和61年7月に休山となっています。

採掘した鉱石は鉱山から国鉄下川駅まではトラックで運搬していました。

磯部珊瑠鉱山の鉱床

主な鉱床は本𨫤、下盤𨫤、十字脈が有りました。
昭和41年までの坑道総延長は10,000m。

鉱床の主な金属鉱物にはエレクトラム(金と銀の天然の合金)、輝銀鉱、濃紅銀鉱、黄鉄鉱が主で、輝安鉱、辰砂なども見られた。自然金は銀黒として濃集しており、輝銀鉱、黄鉄鉱、濃紅銀鉱と共生していた。また、玉髄質の石英の中に単体で見られることも有った。

鉱床の富鉱部はレンズ状となっており、小さなレンズ状の鉱体が数個合わさって富鉱部となっていた。レンズ状の鉱体は5~10mの延長、上下に10m。
富鉱部でも最良好部は金の品位は数百グラム/t、銀の品位は数キログラム/tとなっていた。

本𨫤

本𨫤は走向延長1,500m、傾斜延長250m、平均脈幅は4.0m。
金の平均品位は5.5g/t、銀の平均品位は40g/t。
本𨫤は露頭があり露頭部の脈幅は5.0m、露頭部の金の平均品位は5.0g/t、銀の平均品位は30g/t。
露頭から250mの深さまで開発されました。

下盤𨫤

下盤𨫤は走向延長220m、傾斜延長70m。
金の平均品位は6.0g/t、銀の平均品位は20g/t。

十字脈

十字脈は走向延長300m、傾斜延長100m。
金の平均品位は5.0g/t、銀の平均品位は30g/t。

磯部珊瑠鉱山の歴史

1917年(大正6年)地元の山下喜六氏と山本金作氏が発見する。
1917年(大正6年)札幌の今堀喜三郎氏が試掘兼を出願し、アマルガム法にて試験的に製錬を行う。
1918年(大正7年)成定市松氏が鉱山を譲り受ける(資料によっては成定市松氏が露頭を発見とある)。
1919年(大正8年)吉川鉄之助氏が権利を買収し共同名義となる。
1920年(大正9年)混汞法により金の採取を計画するも成功に至らず。
1921年(大正10年)9月に斉藤新太郎氏と吉川鉄之助氏の共同にて採掘権を申請する。
1922年(大正11年)斉藤ヤエ氏他1名の共同にて採掘権を得て、日の出坑を採掘して鉱石を小坂鉱山に販売する。
1925年(大正14年) 斉藤ヤエ氏個人の所有となる。
1926年(大正15年) 三井鉱山株式会社に譲渡。
1927年(昭和2年)稼行を再開する。
1932年(昭和7年)電力設備を完成。
1933年(昭和8年)三井砂川鉱業所から独立して、三井珊瑠鉱業所となる。
1934年(昭和9年)日産80t処理の青化製錬所を完成本格的操業開始。
1935年(昭和10年)精錬所の能力を日産100tに拡張する。
1936年(昭和11年)精錬所の能力を日産200tに拡張する。
1939年(昭和14年)精錬所の能力を日産280tに拡張する。
1943年(昭和18年) 同年5月に第二次世界大戦による金山整備令のため休山し、鉱業権は当時の国策会社たる帝国鉱発株式会社へ譲渡したが再開されることなく終戦を迎える。
1949年(昭和24年)磯部清氏が帝国鉱発株式会社と交渉し 85万円で鉱山を購入する。
1950年(昭和25年) 磯部清氏の所有となる。
1955年(昭和30年)10月より磯部鉱業株式会社珊瑚鉱山として稼行を再開する。
1955年(昭和30年)12月より大日本鉱業株式会社発盛製錬所に珪酸鉱として売鉱する。
1956年(昭和31年)1月より出鉱を開始する。
1957年(昭和32年)自家発電所設置本格的操業開始。
1965年(昭和40年) 社名を合同資源産業株式会社と変更する。
1966年(昭和41年) 売鉱量19,542t/年、金量129kg/年、銀量729kg/年の量をとなる。
1969年(昭和44年)自家発電から北海道電力から買電に切り替えて、揚水と巻揚げの増加に備えた。
1976年(昭和51年)採算の取れる埋蔵量が枯渇し、探鉱に専念する。
1980年(昭和55年)金価格の高騰により低位品位でも採算が取れるようになる。
1986年(昭和61年)7月に休止となる。

参考資料『日本の鉱床総覧』『合同資源産業株式会社社史』『北海道地下資源調査資料 (123)』『鉱山写真帖』『明治前期産業発達史資料 別冊 89 3』『下川町史』『特定鉱床開発促進調査資料 サンル地域』

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