水引鉱山は福島県南会津群館岩村に位置した鉱山です。
主に亜鉛と鉛を採掘しており、同じ村内に位置した真米鉱山の支山として稼行されていました。
水引鉱山の概要
水引鉱山は高温性の熱水による交代鉱床の鉱山です。
スカルン鉱物には珪灰石、柘榴石。
金属鉱物には方鉛鉱、閃亜鉛鉱、磁硫鉄鉱、黄鉄鉱、硫砒鉄鉱、黄銅鉱が見られました。


主要鉱床が2つで新坑鉱床と本坑鉱床が有りました。
鉱床は粘板岩と珪岩の中の物は網状で、石灰岩中に入ると肥大しレンズ状やパイプ状の形状となっていました。
新坑鉱床は鉱山事務所の近くに有り、石灰岩中に不規則な塊状となって存在していました。
1つの鉱体の大きさが6~10m×15m×2m。
1坑と通洞抗が有り、主に通洞抗から開発が行われていました。
本坑鉱床は東よりの石灰岩中と露頭数か所に位置しました。
延長は50m以上あしましたが、幅が1~5m程度となっていました。
鉱山まではトラックが通り、資材の搬入や鉱石の搬出はトラックを用いて鉱山から滝の原駅へと運んでいました。
鉱山付近は豪雪地帯であるため、冬場は鉱石の搬出は中止して鉱山に貯鉱されました。
また、鉱山労働者も当期は鉱山に合宿していました。
昭和35年までに坑道の総延長は3345m。
露頭からの開発深度は垂直で80mの深さとなっていました。
昭和33年の最盛期には鉱石を2850t出鉱しました。
銀の品位は鉱石1トンあたり、53.7g、鉛の品位は6.60%、亜鉛の品位は7.12%。
最盛期の従業員は職員が1名、坑内夫が15名、坑外夫が12名の規模となっていました。
鉱山での従業者は主に地元の水引集落の住民だったようです。
水引鉱山の歴史
発見時期は不明だが古くから存在は知られていた様子。
暫く個人の所有を転々していたが、本格的な探鉱や開発は行われなかった。
昭和13年(1938年)三菱鉱業が買収した。
昭和27年(1952年)三菱系列の只見鉱業株式会社の手に移り開発が行われた。
昭和36年(1961年)7月と8月に地質調査を行ったが状況は思わしくなく、同年9月に休山となった。
参考資料『日本の鉱床総覧』『未利用鉄資源 第5輯(1958)』

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