八茎鉱山

福島県の鉱山

八茎鉱山は福島県石城郡四倉町に有ったスカルン鉱床の鉱山です。
当初は主として銅と鉄とタングステン採掘していましたが、後に石灰鉱山となりまました。

八茎鉱山の概要

八茎鉱山の歴史は古く、常陸国太田の城主佐竹氏により開発が行われ、佐竹氏が秋田に転封されてからは、平藩主の内藤氏と安藤氏により経営が行われた。当時の最盛期には戸数2000戸を数えるほど盛況出合った。

明治維新後は個人経営となったが、明治39年7月に横浜の外商であるオット・ライスメール商会と東京の鉱山業者の西村準三郎氏の共同出資により八茎鉱山合資会社が経営を行った。

八茎鉱山一帯は石灰岩の山で、その石灰にスカルン鉱床があり銅の採掘が行われていた。
銅の採掘時に出る石灰岩の大量のズリの利用してセメント事業を行うため、オット・ライスメール商会と横浜の事業家である広瀬金七氏と、東京の事業家の岩崎清七氏が磐城セメント(後の住友大阪セメント)を設立した。

 

八茎鉱山のスカルン鉱床図

鉱体は第一鉱体、第二鉱体、第三鉱体の3つが有った。
第一鉱体は延長350m、傾斜延長600m、厚さ40m。
第二鉱体は延長350m、傾斜延長400m、厚さ20m。

昭和35年までの坑道総延長は15.826m。
露頭よりの開発深度は第一鉱体が垂直250m。第二鉱体が垂直40mとなっている。

鉱物としてスカルン鉱物に灰鉄柘榴石、灰鉄輝石、緑簾石、透輝石、珪灰石、バビングトナイト、石英、方解石。
金属鉱物には黄銅鉱、磁鉄鉱、灰重石、磁硫鉄鉱、キューバ鉱、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱、輝水鉛鉱などが見られた。

スカルン鉱床の上部に大量の石灰岩が有り、石灰鉱山としては露天掘りと坑内採掘を行った。

石灰鉱山としての八茎鉱山図

八茎鉱山の歴史

八茎鉱山の発見は、古くは和銅年間(708年から715年)、明徳二年(1391年)とも言われている。
天正年間岩城丹波守により稼行され後に、水戸の佐竹義宣により採掘が行われた。
明治33年(1900年)地方の有志により採掘が再開される。
明治40年(1907年)八茎鉱山株式会社が設立される。本坑鉱床の露頭から掘進した。
昭和20年から23年(1945年から1948年)にかけて、銅量を年に8トン生産。後に休山となる。
昭和29年(1954年)日鉄鉱業にて買収。
昭和35年(1960年)1日あたり1000トンの鉱石を生産。
昭和36年(1961年)1日あたり1500トンの鉱石を生産。
昭和46年(1971年)タングステンの採掘を開始する。
昭和53年(1978年)3月に銅の採掘を終了。
昭和53年(1978年)4月に八茎鉱山株式会社として、タングステン、セメント用や炭酸カルシウムとしての石灰を採掘。
昭和58年(1983年)新八茎鉱山株式会社となり、タングステンや炭酸カルシウム用の石灰を採掘。

参考資料『日本の鉱床総覧』『希少金属鉱物資源の賦存状況調査報告書 昭和61年度 阿武隈東部地域』『石灰石 (92)』『石灰石 (262)』『住友セメント八十年史』『日鉄鉱業 四十年史』

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