真米鉱山

真米鉱山は福島県南会津郡館岩村湯の花に位置した鉱山で、当時の会津線滝の原駅から約16kmの真米山の中腹に有りました。
金、鉛、亜鉛などを採掘していました。

真米鉱山の概要

鉱山は主に只見鉱業株式会社により採掘されていました。
鉱区番号は福島県採登751
鉱種類は金、銀、銅、鉛、亜鉛、酸化鉄と名っています。

鉱山まではトラック道が通じており、資材の搬入は鉱石の搬出はトラックにより鉱山と会津滝の原駅までを運搬していました。
なお、この地域は豪雪地帯で有り、冬場は2メートル近く雪が積もるため、冬季は鉱石の搬出が出来なかった。

真米鉱山は高温、熱水交代鉱床で、鉱山で見られるスカルン鉱物には柘榴石、灰鉄輝石。
金属鉱物には方鉛鉱、閃亜鉛鉱、磁硫鉄鉱、黄鉄鉱、硫砒鉄鉱が有りました。

鉱床は宝鉱床、千貫目鉱床、日蔭鉱床、山神鉱床が有りました。
宝鉱床は鉱山の最南端にあり主な抗体が1つ有りました。露頭部には旧鉱が有りましたが崩落しており、上3坑などにより開発されました。

山上鉱床には幾つかの鉱体が有り、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、磁硫鉄鉱の鉱物が主に見られました。
開発は通洞抗、上2番坑、上3番坑道などの坑道により開発されました。

日蔭鉱床は上2番坑、上1番中段坑、上1番坑、通洞中段坑道、通洞抗等により開発されました。
主な鉱物には、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、硫砒鉄鉱などとなっています。

千貫目鉱床は上2番坑、上1番坑、通洞抗等により開発されました。
主な鉱物には方鉛鉱、閃亜鉛鉱、磁硫鉄鉱が見られています。

主な露頭は4つ有り、No1露頭が長さ10m×幅2~5m。No2露頭が長さ30m×幅3m。No3露頭(No4露頭の延長の可能性も有る)、No4露頭が長さ40m×幅5mとなっている。
いずれの露頭からも品位は異なるが、鉛と亜鉛が多く含まれています。

昭和35年末までに坑道の総延長は3200m。
露頭部からの開発深度は、垂直距離で100の深さとなっています。

鉱石の出鉱量として、昭和27年から29年にかけて月110トン、昭和29年10月から30年3月にかけて月150トン、昭和30年4月から31年3月にかけて月170トン、昭和31年4月から同年9月にかけて月170トン(品位は金70g/t、鉛1.7%、亜鉛9.5%)、昭和32年から34年にかけて月370トン(品位:鉛8.6%、亜鉛6.6%)昭和35年は月330トン品位は金38g/t、鉛8.34%、亜鉛6.24%)。

最盛期には50名近い従業員が働いていました。

真米鉱山の歴史

古くは幕末時代に戸中鉱山称して会津藩により採掘が行われた。
会津戦争時(1868年頃)には弾薬製造所として、露頭部の鉛の高品位部分の採掘も行われています

明治期に入り星繁太郎氏が鉱業権を得て真米鉱山として、稼行を多ないました。後に淡中春子氏の手を経て三菱鉱業が鉱山を買収しました。

昭和13年(1938年)三菱鉱業が所有したが、しばらくして鉱山は放置された。
昭和26年(1951年)50馬力のコンプレッサーを設置し、宿舎などの建設を行った。
昭和27年(1952年)4月に三菱系の企業である只見鉱業に鉱山が移管された。

参考資料『日本の鉱床総覧』『未利用鉄資源 第4輯(1957)』

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