喜和田鉱山は山口県岩国市大字二鹿にあり、岩日線北河内駅から5kmの場所に位置していました。
日本最大級のタングステンとしても知られています。
喜和田鉱山の概要
喜和田鉱山寛文9年に発見とされ、は古くは二鹿銅山と呼ばれ、藩主である吉川家が所有し銅や錫鉱石を採掘していた。
しかし明治42年(1909年)に今まで捨てられていた廃石(ズリ石)の中に大量の灰重石が含まれているのを発見し、タングステン鉱山として稼行されるようになった。
明治44年に栗原氏の株式会社栗原工業所が鉱山を手に入れ稼行を行っていたが、タングステン市況の変動により、休山と再開を繰り返した。
喜和田鉱山は採掘した鉱石を処理する施設を持たなかったため、当初鉱石は京都府の大谷鉱山に送り選鉱していた。大谷鉱山の閉山後は玖珂鉱山で処理を行っていたが、玖珂鉱山も操業を停止したため、喜和田鉱山も操業が中止された。
2007年には世界的なレアメタルの価格上昇に伴い、閉山時に放置されていたタングステン鉱石2000トンを経済産業省の仲介により、レアメタル専門商社のアドバンストマテリアルジャパンに売却。売却された鉱石はロシアのプリモルスク鉱山に輸出されています。


喜和田鉱山の鉱床は高温交代鉱床、石英質鉱床、柘榴石スカルン鉱床。
スカルン鉱物には柘榴石、灰鉄輝石、珪灰石。金属鉱物には灰重石、黄鉄鉱、磁硫鉄鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱、錫石、方鉛鉱、水鉛鉱。
鉱床はレンズ状と塊状で、本坑の鉱床の大きさは延長40m×幅30m×深さ50m。
鉱床は複数存在する。
鉱床の特徴として、柘榴石、灰鉄輝石のスカルンの中に、硫化鉄、石英、蛍石等と共に灰重石が含まれる。石英質に富んだ部分は非常に高品位であるが、柘榴石や磁硫鉄鉱に富んだ部分は低品位。本坑より西に行くにしたがって露頭部では硫化鉱が強く低品位となっていく。
主な坑道に本坑、群栄坑道、明治坑道、朝日坑道、釣上坑坑、間歩坑道がある。
露頭は東西に走る粘板岩上に複数点在する。
喜和田鉱山の歴史
寛文9年(1669年)に鉱山が発見される。
明治44年(1911年)栗村敏顕が鉱山を買収し、栗村鉱業所として稼行。以前は藩主である吉川家が所有し錫鉱石を採掘していた。
明治年間に銅山として稼行され、幾人もの手に渡ったが何れも経営は思わしくなかった。
第一次大戦中に本鉱床を中心にタングステンが採掘され、ドイツなどに輸出された。
昭和21年(1946年)休山。
昭和31年(1956年)鉱山の稼行が再開される。
昭和37年(1962年)休山。
昭和43年(1968年)鉱山の稼行が再開される。
平成4年(1992年)閉山となる。
平成19年(2007年)放置されていたタングステン鉱石をレアメタル商社に売却。
参考資料『日本の鉱床総覧』『水曜会誌 19(1)』『山口県喜和田鉱山の地質鉱床と探鉱』
『地質ニュース460号』『山口県玖珂地区の地質とタングステン鉱床』『ブルームバーグ記事」閉山の国産タングステン鉱山蘇生が幻に-アドバンストが撤退を示唆』

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