赤金鉱山は岩手県江刺市伊手字口沢に有った、接触交代鉱床鉱山です。
同和鉱業株式会社が稼行しており、銅や鉄を採掘していました。
日本産新鉱物の赤金鉱が1968年に発見されました。

赤金鉱山の概要
赤金鉱山の地質は石灰岩、緑色岩、石英斑岩、斑糲岩(斑レイ岩)からなる。
金属鉱物に磁鉄鉱、磁硫鉄鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱、硫砒鉄鉱、鉛鉱などが見られ、スカルン鉱物に柘榴石、角閃石、緑簾石、斜長石、透輝石、斧石などが見られる。
主な鉱床には赤金鉱床、米里鉱床、大蔵鉱床、磁石山鉱床、山彦鉱床、東鉱床、栄鉱床、丸森鉱床、つつじ森鉱床、黄金坪鉱床、二枚山鉱床、栄里鉱床などが有る。

昭和35年までの坑道総延長は18,310m、開発深度は赤金鉱床が垂直150m、米里鉱床が垂直200m、東鉱床が垂直180m、栄鉱床が垂直140mとなっています。
最盛期には1000人近くの従業員がおり、従業員用の住居やアパート、内科・外科・歯科の診療所、共同浴場、配給所、映画館、テニスコート、野球場、保育園などの福利厚生施設が有った。
赤金鉱山の歌も有り、以下に紹介する。
1.千人の若人の奮い立つ山
とどろく発破鳴るジャンボー
朝霧破る爆音に
みなぎる我等の力を見よや
「赤金、赤金、山をいのち、ああ勢い立つ、勢い立つ若人我等」2.陸奥の誇りや中尊寺
その黄金産みいでし歴史ある山
古武士の意気は脈々と
われ等の胸によみがえる
仰げや揺るがぬ赤金城を
「赤金、赤金、山をいのち、ああ勢い立つ、勢い立つ若人我等」
3.新しき日本のあけぼのに
先駆けて我等あり担うこの山
山越え野を越え海の底いざ掘れ産業興国の
至誠に築かん世界の平和
「赤金、赤金、山をいのち、ああ勢い立つ、勢い立つ若人我等」
赤金鉱山の歴史
赤金鉱山の発見時代は不明だが、奥州藤原氏がこの地を治めていた頃とされる。
奥州藤原三代当時は、小規模に各所で、金、銅、鉄、タングステンなどを採掘していた。
明治26年(1893年)日本製鉄株式会社が、赤金鉱床、神倉鉱床の磁硫鉄鉱、磁鉄鉱を採掘した。大正9年頃まで、木炭銑を製造し、最盛期には年間2900t、従業員は400人に及んだ。
明治45年(1912年)藤田組が赤金鉱山を買収した。
大正4年(1912年)休山する。
昭和11年(1936年)鉱山を再開する。
昭和20年(1945年)藤田組が解散し、藤田鉱山株式会社となる。陀ノ鼻鉱山を買収し、手選により銅を月に35t、精鉱品位3~4%を生産する。
昭和26年(1951年)30t/日の浮遊選鉱場設備を作る。
昭和28年(1953年)栗木地区、神倉地区、栄地区を取得する。選鉱場の処理量が150t/日となる。
昭和30年(1955年)海抜385m地点に通洞を開く。藤田興業株式会社と合併する。
昭和32年(1957年)選鉱場の処理量が800t/日となる。同和鉱業株式会社と合併する。
昭和47年(1972年)鉱山が同和鉱業から江刺興業株式会社に引き継がれる。
昭和53年(1978年)閉山する。
参考資料『日本の鉱床総覧』『東北鉱山 9(2)』『地質調査所月報 6(6)』


コメント