隆尾鉱山は北海道北見国紋別郡上生田原町字仁達布に位置した鉱山です。
住友金属鉱山株式会社により主に金採掘を目的に稼行されていました。

隆尾鉱山の概要
大正14年5月に留萌の金森伊三郎氏によりニシタップの沢で発見され、昭和元年7月に個人資本により探鉱が行われ、翌2年7月に同じく留萌の中山与作氏の投資により採掘に着手したが、昭和4年4月に休山となった。
昭和7年の5月に、旭川の尾田作蔵氏を仲介として三菱鉱業に鉱山の売却を行おうとするも、契約には至らず、昭和9年に尾田氏自信が鉱山の経営を行った。尾田氏の経営により月産250トンまで採鉱を行うも、昭和13年3月に収支が振るわず中止となった。
昭和13年(昭和10年?)に笠井寅治氏が鉱山を譲り受け、同年秋には室蘭の栗林徳一氏が鉱山を取得して盛んに事業を拡張した。栗林氏の経営により従業員が27名となり、同13年中に山元に貯鉱と手選鉱を行い、小坂、日立、鴻之舞、国富、天竜の各製錬所に売鉱を行っていたが、採掘に主力を注ぐため山元に貯鉱した。

この頃の記録として、従業員の家族を含む鉱山関連者は300名近くとなり、独身寮や女性量等の社宅が建てられたり、分析所等が建設された。
その後は太平洋戦争に伴い金山整備令により、昭和18年の4月に休山となった。
戦後の昭和25年に住友系列の別子鉱業株式会社が鉱山の権利を取得し、別子鉱業北見鉱業所隆尾鉱山として操業を再開し、国富製錬所に鉱石を送った。
しかし昭和28年に閉山した。
隆尾鉱山の鉱床
隆尾鉱山には神社𨫤、昭栄𨫤、大盛𨫤、隆栄𨫤などの主要鉱床がありました。

鉱床に含まれる金属鉱物には、自然金、輝銀鉱、濃紅銀鉱、黄鉄鉱が見られ、少量ながら黄銅鉱、斑銅鉱も含まれていました。
昭和25年から昭和41年までの坑道総延長は571m。
試錐総延長は182m。
金の品位は記録から見ると平均して10g/t程度で有った様だが、生田原町史には以下のような記載が有り、非常に高品位の金鉱石が出た事が伺える。
『掘った鉱石は毎日分析所で検査を行い、トン当たりの金の含有量が10gに満たない物はズリと称して捨て、良い所は秋田の小坂や道内の国富などの製錬所に売った』
『北海道の産金コンクールで、1か月に4キロを出して3位となり表彰を受けた』
『トン当たり2,000g以上の金を含む優秀な鉱石が出ると「おなおらい」と称して全員に金一封が出た』
『トン当たり4,000gの石が出た事が有るが、そんな時、坑口には厳重な格子が組まれ、人の出入りを禁じた』
隆尾鉱山の歴史
1925年(大正14年)5月に留萌の金森伊三郎氏によりニシタップの沢で発見。
1929年(昭和4年)休山となる。
1933年(昭和8年)露頭発見される。
1934年(昭和9年)尾田氏が鉱山の経営に着手する。
1935~1938年(昭和10~13年)転鉱を採取売鉱(2~3,000t/年)する。
1941年(昭和16年)小規模に稼行する。
1943年(昭和18年)金山整備令により休山する。
1950年(昭和25年)住友金属鉱山株式会社(別子鉱業)が買収、探鉱を開始する。
1951年(昭和26年)337tと若干の量を出鉱する。
1953年(昭和28年)休山する。
参考資料『日本の鉱床総覧』『生田原町史』『生田原町史 続』『丸瀬布町史 上巻』『日本鉱山総覧』


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