粟ヶ岳鉱山は新潟県中浦原郡村松町に位置した鉱山です。
粟ヶ岳鉱山の概要
産総研地質調査総合センターのデータでは鉄を採掘していた鉱山で、現在では休廃止鉱山なっています。
鉱床はスカルン鉱床に熱水交代鉱床が重複して生成されたものと考えられ、金属鉱物は熱水交代鉱床により形成されました。
スカルン鉱物には灰鉄輝石、透輝石、柘榴石。金属鉱物には雲母赤鉄鉱(磁鉄鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱)が見られました。
資料には大小45の鉱床が存在したと記載されており、主な鉱床には20号鉱床、11号鉱床、13号鉱床が有りました。
20号鉱床は海抜620mに位置し、延長70m×幅10m×深さ40m以上。
11号鉱床は海抜630mに位置し、延長30m×幅5m×深さ30m以上。斜距離で35mの深さまで開発。
13号鉱床は海抜620mに位置し、延長85m×幅5m。斜距離で25mの深さまで開発。
他の鉱床は海抜440mから760mの範囲に広く分布していました。
昭和15年頃は粟ヶ岳鉱山を大阪市に本社が有った日本拓鑛株式会社が鉱区を所有していた。
所有時の鉱区情報として、以下の情報が記録されている。
鉱区番号:試12632
鉱山名:粟ヶ嶽鑛山
場所:新潟県中浦原郡七谷村及び西浦原郡森町村
面積:774,400坪
鉱物:金、銀、銅、鉛、亜鉛、鉄
また、昭和13年以降日本拓鑛株式会社が探鉱を行い、亜鉛と鉄鉱の共存する雄大なる富鉱帯を発見し、昭和15年度より相富な規模を持って稼行を行うとある。
粟ヶ岳鉱山の歴史
古くより小規模に稼行されており、鉄鉱中に散在した亜鉛鉱の採掘や、壁などの着色用に雲母赤鉄鉱を明治25年(1892年)頃まで採掘した。
明治中期から大正6年(1917年)まで休山
大正6年(1917年)かた大正8年(1919年)にかけて探鉱と採掘を行う。
大正8年(1919年)は休山
昭和13年(1938年)この頃は粟ヶ岳鉱山を日本拓鑛株式会社が所持しており、この年より探鉱を行い富鉱帯を発見する。
昭和15年(1940年)日本拓鑛株式会社が探鉱で発見した鉱体の採掘を行う。
昭和26年(1951年)から昭和28年(1951年)に一部出鉱した。
昭和31年(1956年)日鉄鉱業株式会社が栗ヶ岳鉱山を買収した。
昭和34年(1959年)から昭和35年(1960年)にかけて探鉱を行う。
参考資料『日本の鉱床総覧』『日満支鉱業要覧 昭和15年度版』

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