長登鉱山は山口県美弥郡大田町長登地内に位置し、山口線山口駅の北西24kmに有った鉱山です。
長登鉱山の概要
古くは奈良時代に銅の採掘が行われ、奈良の大仏の鋳造用に奈良に銅を送った記録が残ります。長登の地名も奈良に銅を登らせたことから、この名が付いたとの謂れも有ります。
明治43年の資料によると、鉱業人は堀藤十郎氏。
鉱区番号は山口県採掘登録第39号、48号、117号、183号。
採掘の鉱種は、銀、銅、安質母尼(アンチモン)、鉄。
この時点では坑内に430尺、郊外に350尺のレールが敷設されている、


長登鉱山はスカルン鉱床で、スカルン鉱物には灰鉱輝石、珪灰石、柘榴石。金属鉱物に黄銅鉱、輝コバルト鉱(コバルト華、砒コバルト)等。
鉱床の形状は不規則な塊状で、主な鉱床には烏帽子鉱床、花の山鉱床が有り、そのほかに大切鉱床、長登鉱床、梅ヶ窪鉱床、太田鉱床の4つの鉱床が有った。
烏帽子鉱床は延長80m×幅6m×深さ100m。
花の山鉱床は延長50m×幅5m。
鉱床の特徴として、スカルン中に鉱筒状またはレンズ状に金属鉱物が濃集まるパターンと、スカルン中にほぼ均一に金属鉱物が分布するパターンが見られる。
露頭には海抜250m付近に烏帽子鉱床が有り、幅20m×延長80mで花崗斑岩に接している。
長登鉱山の歴史
奈良時代に銅山として開かれ、奈良の大仏の鋳造用に銅が献納された
徳川時代にも稼行された。
日清戦争、日露戦争時は堀鉱業所により採掘された。その際の平均鉱量は6,600t/年。銅の品位は1.53%。
大正年間は大正8年(1919年)まで採掘が行われ、平均鉱量は4,600t/年、銅の品位は1.64%。
明治22年(1889年)前鉱業人の森下金作氏と山野太郎氏から、堀藤十郎氏が鉱山を譲り受けるが数年間稼行し休山。
明治36年(1903年)11月に鉱山が再開される。
明治41年(1908年)烏帽子坑でコバルトが発見され、翌年より酸化コバルトの生産が行われる。
昭和17年から21年(1942年から1946年)にも操業され、昭和20年頃はコバルトの採掘も行われた。
昭和36年時点で閉山。
参考資料『日本の鉱床総覧』『明治前期産業発達史資料 別冊 86 2』『産業技術の歴史的展開調査研究 昭和57年度』


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